JAM SESSION
STAGE 5

◎ごみ問題は
   まちづくりの道具◎

● 佐々木
このところ名古屋の新聞には必ずごみ関係の記事が出ています.藤前干潟の問題を契機に,ここ1 〜2年で名古屋市のごみ政策は急展開しましたが,これには随分と萩原さんもかかわってこられたのですか.

● 萩原
名古屋市が昨年2 月に出した「ごみ非常事態宣言」は,僕らにとっても相当節目だったかな.まず一番感じたことは,僕らも20 年近くやってきていながら,「本気でやってなかったな」ということに気がついた年でしたね.

● 佐々木
ご自身が?

● 萩原
僕自身がだし,「中部リサイクル」自体がね.というのは,90 万世帯215 万人の名古屋市全域を何とかするというようなことは,我々にはやれるわけがないと思い込んでいたし,まず発想しなかった.でも,それを射程に入れてやってしまった.ということは,逆に言うと今までは,やれる範囲のことだけやってやっぱりお茶を濁していたんだな,と思う.でもやってみたらできちゃうんですよね.

● 佐々木
具体的にはどういうコミットをなさったのですか.

● 萩原
一つは91 年に,西尾前名古屋市長が年頭の記者発表で「リサイクルシティ名古屋を目指す」ということを一度言っています.我々はそのときはバックアップ作戦ということで,市の施策を応援するという形でいろんな仕掛けをつくった.でも結果的にはそれは達成をされずに名古屋のごみ問題は悪化の一途をたどって,周りの市町村からはるかに水をあけられ,最後には非常事態宣言をせざるを得ない状況になった.
そして藤前干潟の問題が出てきて,周りの市民団体からはいろいろ言われたけれど,僕は,あそこは保全されるだろうから,その後のことをやらなければならないと思っていた.だから,独自の事業計画書をつくって,「2001 年までに3 割減」という計画を出すわけです.




名古屋市は「今世紀中に2 割減」という目標を出したけれど,多分これは数字から入っていったと思う.でも我々のは過去のノウハウをもとに積算した事業計画なわけです.それが大きな違いだし,名古屋市を意識した初めてのことです.だから,普通は行政に向かって出すのは政策提言書だけれども,我々のは事業計画書なんですよ.ほかよりもはるかに先行してまとまったものを出したものだから,名古屋市には相当な影響を与えていると思います.これは名古屋市の非常事態宣言文に対する批判になった.

● 佐々木
名古屋市のやり方では手ぬるいという批判ですか.

● 萩原
手ぬるいというか,我々自身がやり切るという腹を固めたので,批判してもいいだろう,というか,実際やろうと思えば,きちんと批判しないと実行できないんですよ.

● 佐々木
「自分たちでやり切る」ということの意味が,ちょっとよくわからないのですが.

● 萩原
それは,我々20 人のスタッフでトラックを調達してやるという意味ではなくて,システムを組み立てるという意味で,その方法を提案しているんです.もちろんこれは根拠のある方法で,例えば,2,000世帯6,000 人の小学校区で3 人のお母さんたちによってシステムがつくれたという事例があるわけですよ.名古屋市は260 学区あるから「掛ける3 」でいい,というように.
でも実は,今回はごみを減らすということの後ろに3 つ目的があって,1 つ目はまちづくり.これは実はごみというのは全員参加しないと片づかないので,逆にそれをツールとして使って全員が参加したまちづくりを考えているわけです.2 つ目は産業育成で,大体100 万トンのごみを資源化するとなると,仮にトン当たり10 万円資源化にお金をかけるとすれば1,000 億ぐらいの事業になる.もう一つは,我々市民団体が社会のお役に立つということを証明したいということです.「我々がいたから減った」「市民団体ってやるじゃん」という社会サービスができるということを証明するというのが3 つ目の目的なんですよ.何か万博の話と似てきたでしょう.一緒のことなんです.全く同じことを考えて関わっているから.

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