JAM SESSION
STAGE 5

● 萩原
単に食いぶちを探していたに過ぎない.そろそろ一生やれることを探していたんですね.だから,全然ねらって入った場所でもないし,始めたのも今の時代を予測していたからじゃない.今を予感していたのだとすれば天才ですよね.ただ抜けていただけだと思う(笑い).

● 佐々木
それが20 年前ということですね.

● 萩原
1980 年の10 月設立ということにしているけれど,それは僕が会社をやめて思い立ったとき.それで翌年の年賀状で友人に伝えたり,マスコミに手紙を書いて,「中部地区で不用品データバンクみたいなものを作りたいんだ」といったら,それが非常に受けた.そして2 月に鶴舞の勤労会館で初めて準備会なるものをやったんです.見ず知らずの人が50人以上集まってくれたり,NHK の6 時のニュースで生放送されたり,新聞でも「北区の青年,何か運動を始める」という乗りで,とにかく受けたんですね.
時代だったんだろうな.でも,時代的にはオイルショック後の第一次のリサイクルブームは鎮静化している時期なんだけどね.

● 佐々木
もうそろそろバブルに入るころですよね.

● 萩原
この地域に何もなかったということなのかな.ともかく,今の感じとはちょっと違って,新鮮さが受けたと思う.驚いたのは,始めてみたら「私も考えていた」という人がゴマンと来たこと.一方,普通の人の反応としては,例えば老夫婦に「そんなことをやる人がいるはずがない」といわれたように,我々のやっていることがとても不思議に見えたというのもあります.大体運動といえば,労働組合,政党あるいは宗教というふうに,なにか裏があると思われた.だから全く色のない人たちが動き出しているというのは不自然に見えたんですね.その他には,「お嬢ちゃん,お坊ちゃんのままごとだから,すぐつぶれるだろう」という見方.これは我々自身も思っていたし,そんなに気負わず,いやになったらすぐ止めるぐらいの感覚だった.スタートの頃の感覚はそんな感じかな.

● 佐々木
肩に力が全然入っていない.

● 萩原
そうですね.東京で事務局長的な位置にいたのが石毛さんという人なんだけれど,




その人はグラフィックデザイナーでハーレーに乗っているおじさんで,そういう感覚の人が始めているんですよね. つまり,環境系の市民運動というと,公害闘争があったからどうしても告発系が中心だったところに,ニューウェーブで出てきたという感じ.僕自身も旧来型の市民運動というのは,もう既に反面教師で見ていたので,こっちならおもしろそうだと思った.

● 佐々木
具体的には,要は不用品のデータバンクをなさっていたわけですか.

● 萩原
そうですね.日本語で言うと「不用品登録紹介銀行」.高度成長の流れの中でコミュニティーが壊れていくし,家族も壊れていく,ライフスタイルも変わってしまって,これまでは家の中や近所で「お古」という形でちゃんと回っていたものがゴミとしてしか出ないような状態になってしまった.だからデータバンクなんていうのは,必要悪として生まれた仕組みですよね.当時アメリカに「リサイクラー」というタブロイド紙があったり,いくつかヒントはあったと思うし,どちらかというと片仮名職業の人たちに支持されているわけ.「かっこいいじゃん」という乗りで,不用品という非常にネクラなものを,カリフォルニア流に言葉を変えるだけで明るくした.だから,価値観を変える運動だったわけです.

● 佐々木
そのころ原宿あたりでフリーマーケットは始まっていましたね.私は学生でしたがお店を出したことがあります.バーバリーのコートが5 千円で売れたかな.大体みんなブランド物だったり,逆にチープなものをカワイイと宝物扱いしたりで,環境のためにとか,地球にやさしいという感じとはちょっと違いましたね.でも,時代の流れもあるでしょうけれども,今の「中部リサイクル運動市民の会」では安全な食品だとかエネルギーだとか,いわゆる地球に優しい,人間に優しいという,そういう活動の色が強いようにみうけられますけれど.

● 萩原
そうだね,それはやっぱり独自の進化を遂げているのかな.ここに集まった人間のキャラクターで,そういう傾向が出てきたのかな.

● 佐々木
なるほど.今日のお話をきいて,「中部リサイクル」から受けるイメージと日常の萩原さんの生活スタイルのズレが納得できたような気がします(笑い).

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