(2) アセスメントにおける環境の現況に関する調査データ
開発に伴う環境影響評価 (アセスメント) は, 「アワスメント」 という悪口をたたかれながらも, 少なくとも現状調査については一定の精度で実施されている. 愛知万博の会場予定地のように, 開発の構想が出てきたがゆえに県下でトップクラスの詳細な自然環境調査が行われる事例も少なくない. 環境影響評価制度の整備が早くから進んだ関東あるいは関西の地方自治体では, すでに数多くの事例が積み上げられている. しかし, 膨大な費用と労力をかけて調査した結果は, 厚さ 10■に及ぶ環境影響評価準備書に記載されるものの, その後の活用はほとんど行われずに, やがて倉庫のなかでほこりを被ることになる. これらのデータの市民全体での共有化が図れれば, 自然環境についてのすばらしいデータベースができるはずであり, 開発業者も調べるだけの現状調査に多額の費用を投じるよりもさらに効果的な調査ができるはずである.

(3) 空間データと環境データ, 社会経済データの対応
都市計画区域, 特に市街化区域の線引きがなされている市町村においては, 都市計画法に基づく都市計画基礎調査が定期的に行われている. この調査では, 建物一件一件の構造や利用に関する詳細な調査が実施されており, これらの空間データは, GIS (地理情報システム) を用いて図化等の処理が行われている場合が少なくない. しかし残念ながら, データ自体は, 地理情報システムを納入している業者の手元に独占されており, 行政あるいは市民がそのデータを利用して各種の解析を行っていくことはほぼ不可能である. また, 固定資産の課税という観点からも, 別の空間データ (地籍データ) が 1/500 の精度で整備されているが, 都市計画に関する空間データとは整合性が図られておらず, 各々の部局がそれぞれ管理をしているにすぎない.
各種社会経済データに関しては, 国勢調査や商業統計, 工業統計といった統計法に基づく国の指定統計が全国レベルで定期的に実施されている. これらのデータは直接国レベルで処理されるため, 市町村ではよほど主体的に取り組んでいる所を除けば, オリジナルデータを保有しているところはまれである.
自然環境や水質・大気などの環境質に関するデータを活用していくためには, 空間データとの結合, 社会経済データとの対応性の解析が不可欠であるが, 現状ではこれらのデータを整合させていくには多大な労力を必要とすることになる.


3. 環境情報が果たすべき役割

環境との共生を実現していくうえでの要件は数多く考えられるが, ここでは, 次の諸点にしぼって考えたい.

(1) くらしと環境との相互関係性の構造化

1. くらしと環境との意識面での乖離
上水道, エネルギ供給, 排水処理, 廃棄物処理などの代謝系都市システムが巨大化するにつれ, 都市の外部空間への依存性はますます高まってきた. その結果, 日々のくらしのなかで身の回りの環境との相互関連性を体感できる機会は少なくなり, 密接に結び付いて成立しているはずの生活と環境との意識面での乖離が進んでいる. たとえば, 木曽川上流に位置する御岳の麓の牧尾ダムから送られてきた愛知用水は, 水不足に悩まされつづけてきた知多半島を一転して豊かな農作地帯に変えたが, 新聞での渇水報道が行われてはじめて家庭の蛇口とダムの貯水率との関係性に思いが向けられる. 渥美半島の背骨を形作る豊川用水が諏訪湖の水によって補給されていることも, 日常の生活からは意識しにくい. かつて, 台所から出された米や野菜くずが家の前の水路に溜まることによって, 環境との関連性を否応無しに意識付ていたが, 現代の流域下水道システムの整備は, 一見, 財政的な効率が向上するようにみえても, 暮らしから出た排水と市内河川や伊勢湾, 三河湾の汚濁との因果関係を見えにくくさせている.

2.くらしと環境を結び付けるもの
たとえば, JR大津駅に設置された琵琶湖のバネルは, 通勤・通学の人々の意識のなかに, 日々の琵琶湖の環境の状態を意識づけることができる. 数年前に大渇水を経験した松山市では, 地元新聞の天気予報欄の横に毎日の貯水率が表示され, 無駄のない水利用の実現を市民に訴えている. 60m の高さが大きな議論を巻き起こした京都駅ビルだが, ソーラーパネルを屋根にならべ, 新幹線コンコースに太陽エネルギによる発電量を表示していることだけは評価に値する. 19 時間断水を経験した知多半島でこのような動きが出てこないことは残念であるが, 新聞情報以外には水源地域の状況を知ることがてきない現状では, 喉元過ぎれば暑さ忘れるということわざに納得せざるをえない.
環境共生型の社会システムを構築していくうえで, モラルに訴えるタイプの環境保全活動だけでは不十分であり, くらしと環境との結びつきを再び視覚化し, 体感できるようなシステムやしくみづくりが求められる.

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