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♯36 幸せに生きる

自利利他(人の幸せは自分の幸せ)を説く。
僧侶として、保護司として。

法音寺明川支院 主管者

毛利行徳上人
(1991年3月 日本福祉大学社会福祉学部1部卒業)

日本福祉大学で福祉を学んだ後、仏門に入った毛利さん。現在は、僧侶の傍ら、保護司の活動にも取り組んでいます。毛利さんに、宗教と福祉の共通点や保護司の取り組みについて伺いました。

社会課題

持続可能な保護司制度に向けて。

 保護司は、犯罪や非行をした人の立ち直りを地域で支える民間のボランティアです。1950年(昭和25年)の保護司法(昭和25年法律第204号)制定により、現在の保護司制度の骨格がつくられました。以来、保護司は、犯罪をした人や非行のある少年が、実社会の中で健全な一員として更生するよう、更生保護の中核の役割を果たしてきました。

 保護司の定数は、保護司法で全国52,500人と定められています。しかし近年、保護司の数は減少の一途をたどり、高齢化も進んでいます。60歳以上の者が全体の8割を占め、平均年齢は65.4歳となっています。その背景には、人口の減少や地域における人間関係の希薄化といった社会的要因に加え、保護司活動に伴う不安や負担が大きいことが指摘されています。こうした状況を踏まえ、法務省では「持続可能な保護司制度の確立に向けた検討会」を設置し、所要の検討を進め、2024年(令和6年)3月に中間取りまとめを行いました。 法務省は、この報告書を踏まえた保護司法の改正案を早ければ来年の通常国会に提出する方針です。

参考:法務省「再犯防止推進白書」、全国保護司連盟サイト

INTERVIEW

小さい頃から身近にあった、法音寺の教え。

まず、毛利上人が宗教法人法音寺(※)と関わるようになったきっかけについて教えていただけますか。

毛利

私は九州・大分県の出身ですが、法音寺との関わりは祖父の代にさかのぼります。祖父が難病になり、近所の方から法音寺のことを教えていただき、お題目を唱え「教え」を実行したところ、快方に向かったそうです。そこから、法音寺の教えを深く学ぶようになり、それは父母の代へと受け継がれていきました。そういう家庭環境で育ったので、小さい頃から法音寺の教えが身近にありました。

日本福祉大学へ進学したのはどうしてですか。

毛利

うちに最も近い法音寺の支院が福岡県にあり、そこの法尼が月に一度訪れ、法座を開いてくださっていました。その方が福祉の現場で働く信徒さんの話をよくしてくださり、小さい頃からその話を聞いていましたので、福祉の仕事に親近感をもっていました。高校で進路を決める際、自分の得意な分野は何かと考え、人とのつきあいかな、と。そこで、人と関わる福祉の仕事を志し、伝統ある日本福祉大学をめざすことにしました。

大学ではどのように過ごされましたか。

毛利

好きなことを思い切りできて、パラダイスのような環境でしたね。ちょうど世の中はバブル景気にわいていましたが、そういう社会とは違う価値観をもつ仲間が集まっていて、類は友を呼ぶってこういうことかなと思いました。また、名古屋市の法音寺の青年会にも入り、仲間とディスカッションするのも楽しかったですね。そこで、「法音寺に住んでここから大学へ通いませんか」と声をかけてくださったのが現在の山首であり、日本福祉大学の学園長でもある鈴木正修上人だったんです。「はい、お願いします」とお返事してすぐにキャンパス近くの下宿から引っ越しました。それから、夜の宿直などのアルバイトもしながら、安い家賃で法音寺に住まわせていただき、本当にありがたかったですね。

※大乗山法音寺は日蓮宗に属し、明治42年1月、始祖・杉山辰子先生が法華経と日蓮主義をもって世を感化し、救済しようと、仏教感化救済会を創設されたことに始まります。日本福祉大学は法音寺の開山である鈴木修学上人によって創設された大学です。法音寺では個人の信仰と修養をすすめるとともに、「行」の社会福祉法人昭徳会と「学」の学校法人日本福祉大学の経営を通して社会救済を行っています。

福祉ではなく僧侶の道へ進んだ理由。

もともと福祉の仕事をめざしていらっしゃったわけですが、仏門に入ったのはどうしてですか。

毛利

先ほどお話ししたように、大学と法音寺を行き来する学生生活をするなかで、鈴木正修上人から「どうだ、毛利君、お坊さんにならんか」と声をかけていただきました。私が僧侶になり、人々や社会を救済していくことになれば、亡くなった祖父はもちろん、祖母や両親もすごく喜んでくれるだろうと思い、決心しました。

福祉とは違う進路に、迷いはありませんでしたか。

毛利

当時、私は児童養護施設を訪問する機会が多く、卒業したら児童養護施設に就職しようと考えていました。その道を変更するのはいい判断だろうかと自問しました。考えていくうちに、養護施設の子どもたちが抱える問題はその子だけでは解決できないという真理に行き着きました。貧困や虐待の連鎖は、その子の両親、さらに祖父母の代から続く問題でもあります。もし僧侶になれば、親の代、祖父母の代、さらに先祖までアプローチできます。そういう意味では僧侶になることによって、福祉の道を断念することにはならず、むしろ福祉の仕事を無制限に追求できると考えました。

保護司として、人生の新しい扉を開く。

そして現在は、僧侶の傍ら、保護司にも取り組んでいらっしゃるわけですね。

毛利

はい。もともと地域の中学校のPTA会長を引き受けることになったのがきっかけです。そこから、町内会の副会長も務めるようになり、地域の活動に関わる機会が増えていきました。そこで「保護司を引き受けてくださいませんか」というお誘いがあり、お引き受けすることにしました。この決断のベースには、山首上人が話してくださった「サレンダー」の教えがあります。サレンダーとは「身を任せる」「身を委ねる」という意味で、ヨガと瞑想に人生を捧げていたアメリカ人の実業家マイケル・シンガーという人が「人から何か頼まれたら、それを断らない」と決めたところ、人生の新しい扉が開いていったというものです。人から頼まれるということは、人を通して仏さまがメッセージを届けてくださっているものであり、天命だと。この教えに感銘を受けて、私も迷うことなく保護司を引き受けることにしました。

保護司とはどういうお仕事をされるのですか。

毛利

簡単にいうと、少年院や刑務所を出てこられた方たちが社会に復帰できるような支援をしていく役目です。罪を犯した人は失敗から学んでいます。その人たちがまた社会の重要な一員として活躍できる社会は健全だと思います。私は保護司になって3年目で、これまでお二人を担当したところですが、保護司の研修を受けて、法務関係や更生保護事業について勉強してみると、とても興味深い世界が広がっていました。もともと法音寺の始まりは、布教、感化、救済で、法華経をもって世の中を感化しながら救済していくという考えがあります。その考え方と保護司はつながると思います。保護司を通じて、縁のある人や一般の信者さんのことを支援していくことができるので、自分の手の内がどんどん広がり、考えも深まっていく実感があります。

つながりの中でこそ幸せを感じることができる。

保護司と僧侶の共通点には、ほかにどんなことがありますか。

毛利

保護司が対象とするのは、罪を犯した人たちです。でも仏教的にみると私たちも罪を犯しています。法律に触れていないので罰せられることはないですが、三つの罪(煩悩)があるといいます。それは、「貪欲(とんよく:欲望)・瞋恚(しんに:怒り)・愚痴(ぐち:無知)」の3つです。欲求のままに生きたり、怒ったり愚痴を言っていると、法に問われることはなくても寂しい人生を送ることになります。そうならないように、みんなで仲良く過ごしながら幸せを感じられるように更生を働きかけていくのが私の役割ですが、それは、保護司も僧侶も、同じだと感じています。

毛利上人が、最も大切にしているのはどんな教えでしょうか。

毛利

「自利利他」、すなわち「人の幸せは自分の幸せ」ということに尽きると思います。私たちは誰でも、自分のことだけを考えた生活をしていると、自由を求めながらも不自由な人生を送ってしまうことになります。自利(自分の幸せ)のためには同時に利他(人の幸せ)を求める生き方をしていくと、本当の喜びや自由が得られるようになるのです。今の社会は勝ち組や負け組の分断があったり、おひとり様でもなんとか生活していくことができます。しかし、人はつながりの中でしか本当の幸せを感じることはできないと思うのです。誰かの役に立った、何かに貢献したということがないと、深い喜びを得ることはできません。また、支えておかないと、支えてもらえないわけですね。これは、因果の理法(善い行いをすれば善い結果が、悪い行いをすれば悪い結果が必ず訪れる)という仏教の根本的な考え方でもあります。

最後に、今後の目標をお聞かせください。

毛利

私たちがみんな「自利利他」という価値観をもって生きていけば、孤立のない社会になっていくと思います。ただ、何万人の聴衆を集めて講演しても自利利他が伝わるとは思えません。私自身は天命に従って、人から依頼されたことを積極的に引き受けながら、自分の勤めを精一杯果たし、自利利他の教えを広めていきたいと考えています。

日蓮宗 大乗山 法音寺のチャレンジ

大乗山法音寺は、始祖・杉山辰子師が明治42年に創設した「仏教感化救済会」の志を受け継ぐ日蓮宗の寺院です。杉山師のみ教えを継いだ鈴木修学上人が日蓮宗寺院として大乗山法音寺を開堂して以来、多くの人々を励まし、困窮者支援に取り組んできました。現在は、全国各地に40の支院・布教所を拠点とし、法華経の宣布が続けられています。

「如我等無異」
――あなたと共に生きる喜び。

日蓮宗 大乗山 法音寺

愛知県名古屋市昭和区駒方町3-3

https://www.houonji.com/

苦しみに寄り添い、“福祉”の原点を築いた先駆者たち

 法音寺の歩みは、明治時代に社会の周縁に生きる人々を支えた杉山辰子師に始まります。杉山師は、差別や貧困、病苦に苦しむ人々に寄り添い、ハンセン病患者のもとを訪れて食事や衣服の世話を行い、命の尊厳を守り続けました。また、孤児や生活困窮者への支援を通して、社会の中に“支え合う関係”を生み出そうとしました。

 法華経の菩薩道をもとに、杉山師が実践の指針として示したのが「三徳」――慈悲・至誠・堪忍です。三徳とは、貪りの心を施しの心に、怒りの心を柔和な心に、愚痴を改めて仏の智慧に変える生き方であり、仏さまの教えを“生きる力”として社会に根づかせるための実践のことばでした。

 こうした志で組織された「仏教感化救済会」は、関東大震災などの被災者支援や不良少年の更生、被虐待児救済、ハンセン病や肺結核などの病いに苦しむ人々の救済などの活動を次々に展開していきます。やがて教化部門を「財団法人大乗修養団」、救済部門を「財団法人大乗報恩会」として分かれ、後者は昭和19年に「財団法人昭徳会(現・社会福祉法人昭徳会)」へと改称されました。杉山師の志は、地域における“支え合う福祉”の広がりとして、現在も受け継がれています。

「如我等無異」の精神を、未来の社会へ

 法音寺の精神は、人々の心の拠り所となっているだけでなく、教育と実践の両輪として現在も受け継がれています。法音寺の開祖である鈴木修学上人は、児童養護の実践をもとに理念を教育へと発展させ、1953年に中部社会事業短期大学(現・日本福祉大学)を設立しました。このとき建学の精神として掲げられた中にある「如我等無異(我が如く等しくして異なること無からしめんと欲しき)」というお釈迦さまの言葉には、すべての人を等しく尊い存在として受け止めるまなざしが込められています。こうした精神のもとで育った多くの専門職が、今日も地域の最前線で活躍しています。

 一方、社会福祉法人昭徳会は、高齢・障がい・児童・保育の各分野で60を超える事業を展開。理念である「幸福(しあわせ)」を大切にしながら、人々の生活に寄り添い続けています。その姿勢は、杉山師が示した“分け隔てなく誰にでも親切にする”という精神の実践といえます。

 法音寺は、人々に徳を積むことを奨励する一方で、こうした教育と福祉の両輪を支える拠点として、時代の苦しみに寄り添い続けてきました。被災者や戦災孤児への支援、病に苦しむ人々への救済など、「誰に対しても最大限の友情を発揮して徳を積む」という理念を行動で示してきた歴史があります。
いま私たちが生きる時代もまた、不寛容や孤立、価値観の対立が深まる“悩める時代”です。しかし、そのような時代だからこそ、すべての人を尊い存在として受け止め、共に生きることを喜びとする「如我等無異」のまなざしが必要とされています。

 いつも穏やかで、親切と感謝を心がけ、他者のしあわせのために働くことを喜びとする。法音寺は、過去も現在も、そしてこれからも、このまなざしを未来に手渡しながら、人々とともに“よりよい社会”をつくる歩みを続けています。

  • 社会福祉学部 社会福祉学科
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