日本福祉大学

日本福祉大学 学園創立70周年記念サイト

日本福祉大学チャレンジファイル 日本福祉大学チャレンジファイル

#28 労働時間とメンタルヘルス

労働時間の上限を定め、
人材の価値を最大限に引き出す。

経済学部 経済学科

藤井英彦 准教授

藤井英彦准教授の研究テーマは「労働を科学する」。労働経済学、人的資源管理論を専門分野として、ワークモチベーション、職務満足、労働時間、健康、人材育成、キャリア形成をキーワードとして研究を続けています。藤井先生に、労働時間とメンタルヘルス、そしてこれからの働き方について話を聞きました。

社会課題

精神障害に関わる労災申請が急増。

 労働災害(労災)とは、労働者(従業員、社員、アルバイトなど)が業務中や通勤中に負傷したり、病気になったり死亡することを指します。労働災害が起きた場合、労働者やその遺族は労災申請を行い、認定されると一定の給付が受けられます。
 労災申請はさまざまなケガや病気などが対象になりますが、近年、精神障害に関わる労災申請が急増しています。厚生労働省によると、2023年の労災請求件数は3,575件で前年度に比べ、892件の増加。そのうち、労災支給決定(認定)件数は883件で前年度比173件の増加となりました。労災請求件数の多い業種を見ると、社会保険・福祉・介護が494件で第1位、医療業が390件で第2位と続きます(※)。
 また、心理的負荷の事案としては、パワーハラスメント、仕事内容・量の変化、2週間以上の連続勤務などが多くあげられ、全体として男性が多いことも特徴です。こうした職場の課題をしっかり見据え、適切な対策を立てていくことが求められています。

  • 出所:令和5年(2023年)度「過労死等の労災補償状況」(令和6年版過労死等防止対策白書)

INTERVIEW

労働のベースに必要なワークモチベーション。

最初に、先生が労働経済を研究し始めたきっかけを教えてください。

藤井

私はこちらに来る前に、民間企業に35年間勤めていて、主に人事畑を歩んできました。そのなかで実務上、社員のワークモチベーションをどうすれば上げることができるのか、その仕組みを会社の中につくれないかと考え、業務の傍ら、大学で勉強するようになりました。修士課程を修了した後も物足りなさを感じ、科目等履修生として学びを継続し、博士課程を修了後、本学でも研究を続けることにしたのです。

先生が着目されたワークモチベーションとは、どのようなものと考えればいいでしょうか。

藤井

ワークモチベーションは簡単にいうと、個人が目標に向けて自発的に頑張ろうとする意欲のことです。仕事をする上では、働く意欲が重要ですよね。私たちはどうして仕事をするかというと、労働してお金を得るというのが第一の目的ですが、それだけではありません。社会に出ると私たちは自分の確固たる位置づけをつくり、ほかの人との関わりを育んでいく。その基盤として、労働があるんじゃないかと考えています。また、このワークモチベーションには3つの要素があると言われています。1つは自律性。自分で意思決定できること。2つ目は有能感。自分が役に立っていると感じること。3つ目は関係性。周囲との良好な人間関係を築けること。この3つがワークモチベーションをもち続けるために重要だと言われています。

労働時間は少しずつだが、減ってきている。

日本の労働時間は長過ぎるとよく言われますが、実際はどうでしょうか。

藤井

日本では、労働時間を1日に8時間、1週間に40時間以内にすることが労働基準法で定められています。同じようにアメリカの法定労働時間は1週40時間、イギリスは48時間と、諸外国に比べて日本の労働時間が特別長いわけではありません。週労働時間を見ると日本が欧州に比べてちょっと長めではありますが、アジアではもっと長い国もあります。ただし、日本では、長時間働く労働者が相当数いて、その人たちの割合が高いところが問題です。

なるほど。そうした問題はありつつ、労働時間が少しずつ減ってきた背景には何があるのでしょうか。

藤井

いくつかの政策が、労働時間の減少を促してきました。1つ目は、2015年の若年雇用促進法。これは雇用に関する情報開示に関する法律で、前年度の月平均所定労働時間、有給休暇の平均取得日数などを公開するものです。2つ目は、2019年の働き方改革関連法。働き方改革を進めるための、各種労働関連法の改正を進める法律です。3つ目は、2020年のパワーハラスメント防止法。優越的な関係を背景に、業務上必要かつ相当な範囲を超えた言動で、就業環境を害することを防止する法律ですね。これらの法律が順番に整備されたことによって、労働時間は少しずつ減ってきました。とはいえ、依然として労働時間の削減は進みにくいのが現状です。

労働時間がなかなか減らないのはどうしてですか。

藤井

企業側からすると、繁忙期に新しい人を雇用するよりも、今いる人に残業してもらうほうが人件費や採用費用、育成費用の抑制につながります。不況時には残業を減らすことで人件費を抑制できます。一方、労働者側からすると、労働時間が長くなると、25%割増の残業手当がもらえます。この手当を生活費に組み込んでいる人もやっぱりいらっしゃいます。もう一つは、働くことによって高揚感が高まるという心理的な側面もあります。残業時間がひと月に80時間の人の満足度が、残業時間40時間の人より高いケースがあります。いわゆるワーカホリック(仕事中毒)といわれる人たちです。

労働時間が長くなると、健康リスクも高まる。

労働時間が長くなると当然、健康上の問題も増えるわけですね。

藤井

労働時間と健康については、産業医学、経済学の分野でそれぞれ先行研究が行われています。産業医学の研究によると、長時間労働と脳・心臓疾患との関係は明らかにされている一方、精神疾患との関係に関する調査結果にばらつきがあり、明確な関係性はまだ証明されていません。経済学分野でもいろいろな研究が蓄積されていますが、長時間労働がメンタルヘルスを毀損するという大規模なアンケートによる定量的分析があります。やはり長時間労働はメンタルヘルスに何らかの影響を与えているのだと思います。

メンタルヘルスでは具体的にどのような症状がありますか。

藤井

とくに問題になっているのが、疲労の持ち越しの頻度です。翌朝に前日の疲労を持ち越すと、半数以上の人がストレス、不安障害を訴えるという結果が出ています。労働時間が長くなると休息をとる時間や睡眠時間が短くなりますよね。睡眠時間が短くなると、身体の基礎的なコンディションを整えることができず、メンタル的なところにも影響を与えるのだと思います。社会課題のコラムにも記したように、近年、精神障害に関する労災申請が急増しています。とくに社会保険・社会福祉・介護業、医療業・保健衛生という業種で増えています。もちろん、働いている人全体が多いことも影響していると思いますが、非常に気になるデータです。

時短労働を進めつつ、人材の能力を発揮するには。

先ほどワーカホリックの話がでましたが、長時間働くことで満足する人も一定数いるわけですね。

藤井

その通りです。長時間労働しても、幸福感は普通に働いているときと同じだという人もいます。労働時間には、ギャンブル、酒、たばこと同じように「中毒性」「依存性」があります。放っておくと働き過ぎる可能性があり、企業だけに任せることはできません。政府が上限を決める必要があると私は考えています。その一方で、働き方改革が労働供給の制約につながることも懸念されます。実際、欧州では労働時間短縮が産業の弱体化を招いているという危機感が指摘されています。

労働時間を短縮しつつ、経済を維持するにはどうすればいいでしょうか。

藤井

若年者を含む労働者の能力アップ、いわゆる「人的資本」を形成することが一番大切だと思います。人的資本とは、労働者がそれぞれもっているスキル、知識、資格、能力などを資本として捉える考え方です。ただ、企業側からすると、労働時間が短くなると人材教育の時間も減りますから、人的資本の形成がむずかしくなる。ひと昔前には、10年間ぐらい頑張らないと一人前になれないと言われ、馬車馬のように働いてきたと思うんですけど、今の働き方やパワハラに配慮するなかではそれはむずかしい。企業の中には、新卒育成をあきらめて中途採用に力を入れるところもあります。

では、どうすれば人的資本を形成することができるでしょうか。

藤井

私は人的資本を形成するのは、労働者一人ひとりの意識ではないかと考えています。働く人が自分の価値を上げるために、自らプランを立てて実行していく。スキルを身につけた後は、一つの企業に留まるのではなく、スキルに合致した場所へ移り、新しい会社で活躍していく。そのように人が会社をどんどん変わっていく方が、日本の経済のためにはいいんじゃないかと思います。

なるほど、新卒採用、終身雇用のあり方を変革していかねばならない、ということですね。

藤井

そういうことです。すでに、少しずつ「外部労働市場型」への変化が進んでいると思います。外部労働市場型とは、企業間で労働力を交換する市場のことですが、これからの労働者は自分の能力に合わせて働き先を変えて、成果に見合った賃金を受け取るようになることが理想です。そして、誰もがワークモチベーションをもちながら能力を活かすことで、日本経済はさらなる発展を望めるのではないでしょうか。

ODKソリューションズのチャレンジ

ODKソリューションズは、情報処理・教育支援を中心に展開する企業で、大学入試業務のアウトソーシング支援で高い信頼を得ている。社員数は約146名、全国に複数の拠点を構える。長年「まんなかに人」という方針を掲げ、近年では人的資本経営や働き方改革への取り組みを強化。変形労働時間制やシフト勤務制の導入、リモートワーク環境整備など、社員の多様なライフスタイルに応える制度設計を行っている。

“まんなかに人。”
制度から生まれる、持続可能な働き方。

株式会社ODKソリューションズ

大阪府大阪市中央区道修町1-6-7 JMFビル北浜 01

https://www.odk.co.jp

一人ひとりの事情に寄り添い、
制度で働き方を変える。

かつての日本では 「24時間戦えますか」というフレーズが流行語になるなど、長時間労働が“当たり前”という風土が根強く残っていました。特に大学入試支援という事業の特性上、土日祝や朝晩の対応が求められ、繁忙期には休みが取りづらい実情も。そんな状況を変えるべく、2017年から取り組みが本格化しました。

導入されたのが「1年単位の変形労働時間制」。年間で事前に休日を設定し、繁忙期は出勤、閑散期は週4日勤務など柔軟に働ける仕組みです。さらに「シフト勤務制」では始業時間を8〜13時の間で選べる制度を整備。これにより、業務のピーク時間に合わせた効率的な人員配置が可能となりました。

改革の背景には、社員に「休むことの価値」に気づいてもらいたいという思いがありました。2017年当時は「健康経営」が社会的なテーマとなり、ODKソリューションズでも非金銭報酬への目配りが不足していたことから、「休むこと」の意識改革に着手しました。その際に重視したのが、①新たに導入した就業制度の理解と有効活用、②有給休暇の消化日数、③所定外労働時間という3つの指標です。制度導入初期の2018年は利用率が全体の約50%にとどまっていましたが、現在は当然の仕組みとして定着。有給休暇の平均取得日数も2017年の7.1日から直近では15.0日へと倍増し、所定外労働時間も1年間で約5,000時間削減されました。こうした変化を経て、社員の間には“休むことがあたりまえ”という感覚が根づき、とくに教育部門では、いまや社内で最も有休を消化する部門へと変わりました。

制度は手段。
目的は“選択できる働き方”をつくること。

働き方改革のもう一つの柱が「選択肢を広げる」こと。シフト制度やテレワークは、もともと子育てや介護など、社員のライフイベントに応じた働き方を支えるために整備されたものです。特筆すべきは、これらが単なる制度導入ではなく、“自分に合った働き方を選ぶ”ことを社員に促す土壌づくりとして運用されている点です。
 部署によっては8割がテレワークという事例もあり、マネージャー裁量による運用が認められる柔軟なガイドラインを設定。また、残業削減によって生まれたリソースを「社員に還元する制度」も並行して実施するなど、経営方針と現場施策が一致した取り組みが評価されています。

 さらに近年では、人的資本経営やエンゲージメント可視化に向けたサーベイの導入、退職者との関係維持を目指したアルムナイネットワーク構想など、“人”を軸に据えた取り組みが次のステージに進みつつあります。「制度は目的ではなく手段。働く人が自分らしい選択をできることが目的です」と語る姿勢が、同社の真骨頂です。

 ODKソリューションズの考える制度の先にあるのは、社員一人ひとりが「この会社で働いていてよかった」と思える環境づくり。かつての“働き方改革”は、今や“人的資本経営”へと進化を遂げつつあります。

  • 社会福祉学部 社会福祉学科
  • くらし・安全
一覧ページへ戻る