課外授業の帰り道、僕は桟橋で船を待っていた。オーストラリアに移り住んで半年。だいぶ南半球での生活にも慣れたころだ。ちょうど夕方のラッシュにぶつかり、小さなデッキの上は仕事帰りの人々であふれていた。ところが、定刻を過ぎても船が来る気配はない。 「またか。」日本にいた頃は、電車やバスが時間通りに来るのは当たり前だと思っていたが、オーストラリアは事情が違う。時間にルーズなのは交通機関だけに限らない。待ち合わせに現れない友人。二か月待っても届かないスニーカー。「だらしない国。」それがオーストラリアに対する正直な思いだった。 そうこう考えているうちに日は沈みかけてきた。季節は夏だが夜の海は寒く、下唇を噛んで寒さに耐えた。日本だったら怒鳴り始める人がでてきてもおかしくなかっただろう。 結局、船が到着したのはそれから一時間半も後のことだった。しかし、不思議と文句や不満をこぼす人は一人もなく、暗やみに響いたのは、大きな歓声と拍手だった。思いがけないこの雰囲気に戸惑いを隠せない僕を見かねたのか、隣のスーツ姿の男性が握りこぶしを差し伸べてきた。オーストラリアではお決まりのフィストバンプの合図だ。握りこぶしを突き合わせたその男性は、「オレだって決して嬉しいとは思ってないさ。でも、文句を言ったって何も変わらないだろ?だからこうやってささやかな喜びをみんなで分かち合う。これがオーストラリアなんだ。」と優しい声で言った。 「豪に入れば豪に従え。」かつてユーモア交じりに言われた言葉を思い出し、その意味が今やっとわかった気がした。ひとりで下唇を噛みしめながら寒さに耐えていた僕はもういない。今は寒さの中でその握りこぶしに感じた確かな温もりを大切にし、自分もまたその温もりを誰かと分かち合いたいと思う。 無数の星が広がる夜空の下、船はゆっくりと、少しずつ前に進み始めた。
電車が数分遅れるだけでもおわびの言葉が流れる日本と、船が1時間半も遅れたのに大きな歓声と拍手が起こるオーストラリアとの国民性の差に気づき、その様子を会話を交えて面白く書いています。そうした価値観の差を否定するのではなく、自分のものとして受け入れている気持ちに好感を持ちました。日本人はせっかちな人が多いですが、もう少しのんびりしてもいいのではないかと、この作品を読んで思いました。タイトルも良かったです。