私の姉は重い障がいを持つ。自分では寝返りもできないし、言葉によるコミュニケーションもとれない。 私は長い間この姉が嫌いだった。 幼い頃は、母を独占している姉が妬ましく、許せなかった。「お姉ちゃんみたいに抱っこして。」と言っても「あなたは歩けるでしょう。」と返されると、口をつぐむしかなかった。 思春期の頃は、ヘルパーさんが出入りする家にくつろげなかった。食事中も頻繁に嘔吐し下痢をする、姉のその臭いにもいらだった。 でも一番嫌いなのは自分自身だった。 姉は何も悪くない。痛みにうずくまることもできなければ、時に呼吸すら自力ではできなくなる、そうした過酷な状況を恨みも嘆きもしない。それどころかいつもニコニコしている。そんな姉に比べ、自分はなんて醜いのだろう。 黒いモヤモヤした思いに耐えられなくなり、ある日母に打ち明けた。母は言った。 「あなたはお姉ちゃんが嫌いなんじゃない。寂しい思いや我慢することばかりだった、そのことが辛かっただけ。ごめんね。たとえ歩けたとしても、あなたも抱っこしてあげればよかった。…今、抱っこしてもいい?」 いつだったか私が母に叱られた時傍にいた姉が号泣し、びっくりして母と顔を見合わせたことを思い出した。姉は私のために泣いてくれた。そして私のおしゃべりに耳をすまし、私が笑うと笑った。私もそんな姉を見ると嬉しかった。私たちは一緒に生きてきた。好きという言葉以前に。好きという言葉以上に。 母と話して黒いモヤモヤがスーと晴れた。 障がいを持つ家族がいることで、家族も少なからず障がいを負う。そしてその障がいを乗り越える力をくれるのもまた家族なのだと思う。 でも家族の力だけでは限界がある。だから私は将来、姉や私や私の家族のような人を、支える仕事につきたい。それが、私がこの家族に出会えた幸運に報いる道だと思うから。
障がい者との関わりを描いた作品が多い中でも、この作品のように障がい者の兄弟姉妹の視点から書かれた作品はあまりなく、興味を持って読みました。「母を独占している姉が妬ましい」「一番嫌いなのは自分自身だった」という素直な気持ちが描かれている点を高く評価しました。そして、「今、抱っこしていい?」と作者に語りかける素敵なお母さんに拍手を送ります。作者にこう言ってくれるお母さんだから、ご家族が力を合わせていこうという気持ちになるんでしょう。そんなお母さんの気持ちを素直に受け止めた作者も、素敵だと思います。