「席が空いていますよ。一緒に座りませんか?」 暑い夏の日の放課後、新幹線の切符を買いに行った帰りに乗った地下鉄で、そう声をかけられました。その日は2駅しか乗らなかったけれど、教えてもらえたことがとても嬉しくてずっと頬が緩んでいた気がします。 私が白杖をついて電車に乗ると、多くの人が席を譲ろうと立ち上がってくれます。しかし私はその人達の親切をいつもは断っていました。白杖を持った私は電車の中では否応なく座らなければならないと決めつけられているようで、意固地になっていたからです。 ところがその日、その女性は私に「一緒に座りませんか?」と声を掛けてくれました。 すると私は、即座に「お願いします」と答えていました。いつもなら席を勧められても「大丈夫です。」「結構です。」などと言って断っていた私が、なぜか素直に女性の誘導に従って座席に座りました。 座ってから、心の中が満ち足りた気持ちで一杯になっていることに気付きました。私は「一緒に」という言葉がとても嬉しかったのです。 そのことがわかったとき、いつも素直に親切を受け入れられないのは、自分がその人から『特別に座らせないといけない』という風に思い込まれていると感じ取っていたからだと思いました。 そのとき、自分も同じように人に自分の考える親切を押し付けていたんじゃないか、とも気づきました。 しかし私は、女性の『一緒』という言葉で、彼女にとって他の同乗者たちと同じ、一乗客になったと感じられ、嬉しかったのです。 「ありがとうございます。」 2駅先で、立ち上がり、帽子を取って頭を深く下げました。感謝は伝わったでしょうか? 声を掛けて「一緒に」と言ってくださったこと、独りよがりの親切が人を傷つけることなど様々なことを考えられた出会いでした。
「一緒に座りませんか?」という何気ない言葉に気付き、その言葉を嬉しく受け止めた作者の優しい気持ちがよく伝わる作品です。私たちも日常生活の中で「声をかけようか」「手を差し伸べようか」と迷うことがありますが、そんな時に親切を受ける側がどんな気持ちでいるのかを率直に表現した点が、審査員の心をとらえました。言葉は広いし、深いし、大きな役割を果たしていることが理解できる、いい作品だと思います。タイトルにも、このエッセイを象徴する「一緒に」が入っていると、もっと良くなったのではないでしょうか。