私にはウルリッヒ型先天性筋ジストロフィーという障害がある。徐々に筋力が落ちていく障害だ。今できることが将来できなくなってしまうかもしれない。不安はあるけれど、どうしてもやりたいことがある。大学に進学して一人暮らしをすることだ。そのために家をどんな風にリフォームされているか聞こうと、ある男性に会った。だが話の内容が段々それていって、「今はできんでも、訓練して自分でできるように頑張らんといけん。それが自立。」と言われた。この言葉が私の心に突き刺さった。私の考える「自立」が崩れたような気がした。そして悲しかった。「どうして初めて会った人にこんなこと言われんといけんの。私頑張っているのに……。」 転がってでもベッドから車いすに移る、そんなこと私にはできない。彼と私とではできることが違う。 「やっぱり私には無理なんかな。」悲しくて悔しくて夕食の時涙が出た。朝ベッドから起きて電動車椅子に移る、着替え、トイレ、料理、洗濯、掃除……生活の殆どが一人では難しい。「自立」って何だ。本当に「全てのことを自分一人ですること」なのだろうか。人にはそれぞれできることとできないことがある。自分でできることでも、それをするのに膨大な時間がかかって、本当にやりたいことができなくなったり、怪我をしてしまったりするかもしれない。それでは意味がない。自分一人の力では難しい時は、他の人の力を借りても良いと思う。その分自由が広がっていき、そして私の可能性が広がるのではないだろうか。だから「自立」とは「できることできないことの区別がはっきりしていて、できることを精一杯行い、できないことは支援をお願いする」ということだと私は考える。 障害があるから自立は無理だなどと、自分自身の限界を作りたくない。また壁にぶつかってもそれを障害のせいにしたくない。私の未来は私が切り開いていくのだ。
最近は障がい者の間でも「自分でできることは自分でする。周りの人にサポートしてもらえることはサポートしてもらう」という考えが主流になってきています。しかし、障がい者である・なしにかかわらず、最近は「自立」「自己責任」という言葉が強く言われる世の中になっています。このエッセイは、「自立」が「孤立」につながっていくのではないかと、みんなに考えてもらうよい問題提起になっています。第四分野にふさわしい内容を、きちんとまとめている点を評価しました。