「喜代子さん、おいでるかん。」 東隣のおばさんが、挨拶もなしに玄関の戸を開け、おばあちゃんを呼ぶ。 今日もきっと、採れすぎた野菜をおすそわけしに来たのだろう。 玄関先でのお喋りの後、台所に戻ってきたおばあちゃんは、ビニール袋に入ったきゅうりと笑顔でいっぱいだった。 私の住んでいる町は昭和初期に生まれた人が多く、自分の畑で採れた野菜等を近所の人同士で分け合っている光景はよく見かける。 同時に、情報も交換し合っているらしい。 「あそこの○○さん、入院しとらっせるだげな。」 「ほうかん。どこが悪いだん。」 というような会話が漏れ聞こえてくることもしばしばある。 私は小さい頃、こんなご近所付き合いは面倒な事だと思っていた。 しかし、そんな考えを覆す事があった。 近年の自然災害を受けて、町内で防災訓練が行われる事になったのだ。 私が考えていたよりも大勢の人々が参加して、小学校のグラウンドで、まるでお祭りのように盛大に行われた。 私も担架で運ばれて、訓練なのに「大丈夫かん」と声を掛けられて、「はい」と思わず返事をしていた。 この事は、私の心の中に強く焼きついている。 おばあちゃんの話によると、もし地震が起きて家がつぶれても、どの家のどの部屋に誰が寝ているか、近所の人は皆知っているから、すぐに助けに行けるし、助けてもらえるとの事だ。 そんな事までお互いに知っているなんて、すごい事だと私は思う。 その後、面倒だと思っていたご近所付き合いを違った目で見るようになった。 ご近所付き合いを大切にする事によって情報も流れてくるし、防災・防犯にも繋がっていくのだ。 「おはよう。学校、気をつけて行きんよ。」 「はあい。行ってきます。」 近頃は笑顔で挨拶ができる私である。
三河弁の会話がイキイキしていて、情景が目の前に広がるようです。採れすぎた野菜をおすそわけしたり、 「どの家のどの部屋に誰が寝ているのか」まで知っているご近所付き合いの温かさが、自分の体験として具体的に書かれている点がよいと思います。