ひいおばあちゃんは、去年の私の誕生日の前の日に逝ってしまった。 だから、私は自分の誕生日を思う前にひいおばあちゃんを想う。だがそれは、悲しい涙を流す日ではない。 それは、自然とひいおばあちゃんの笑顔が浮かんでくる日で、前を向いて歩こうと誓う日だ。 ひいおばあちゃんに会えるのは一年にたった三回程度だった。 それでも、ひいおばあちゃんは入れ歯が外れそうなほど、口を横に開いて私たち家族を出迎えた。 世間話をした後、私たち一人一人に決まってマッサージをしてくれた。 ひいおばあちゃんはお父さんにマッサージをする度に、「あんたはよう肥えたねえ」と言った。 その決まり文句を聞いてみんなで笑った。本当にゆっくりとしたひと時だった。 人の体温が素直に感じられる空間だった。 ひいおばあちゃんの体は段々と細くなっていった気がしたが、私の背中を押す手の力は誰よりも強いままだった。 何かを唱えながら力を込めるその両手は、私の体だけではなく、心までほぐしてくれた。 お葬式ではほとんど泣かなかった。逆に、ただぼんやりとひいおばあちゃんの笑顔が浮かんでいた。 多分ひいおばあちゃんは、みんなの泣き顔を望んでいなかったのだと思う。 ただただ、おばあちゃんを全身で感じていた、それは確かだ。 あれからもうすぐ二年が経つ。ひいおばあちゃんの細く筋張った手は今でも私の背中をしっかりと押してくれている。 ひいおばあちゃんを想うと、すっと背筋が伸びるのはそのせいだろう。 私は丸まった背を伸ばして頭を地面から前へと向ける。すると、光がさしてきて明日が見えてくる。 私は今日も前を向いて歩いている。明日の光が私の心と体を照らしている。 もちろん皆中には、あのあったかい笑顔と魔法の両手を感じながら。
「入れ歯が外れそうなほど、口を横に開いて私たち家族を出迎えた」といったおもしろい作者独自の表現をしているのがよいですね。 また、若い子どもたちがひいおばあちゃんのマッサージをするのではなく、ひいおばあちゃんがマッサージをしてくれる意外性もあり、楽しく読むことができました。 亡くなった今も、ひいおばあちゃんが大好きな作者の気持ちが伝わってくる作品です。