「癌になっちゃったみたい。」 病院で検査を受け帰って来た母が寂しく笑いながら言った言葉だった。 それを聞いた瞬間の妹の唖然とした表情を、私は今でも憶えている。 そして恐らく、私はもっと悲愴な顔をしていたに違いないのだ。 我が家は、父が海外に仕事で長期滞在しており、実際に同じ屋根の下で暮らしていたのは母と妹と私の三人だった。 私と妹は学校があり昼間は家におらず、家事は殆ど母が一人でこなしていた。 加えて母は、余裕の少ない家計のため、週三日パートで働いていた。 病気の原因には、そうした日常の忙しさから来るストレスもあったのだろう。 私達は、病気の詳細が分かるまでパートを続ける母のために、少しでも力になろうと決めた。 母が家にいる時はできるだけ家事を手伝うよう心がけ、パートでいない時は食事も洗濯も全て自分達で済ませた。 そこで初めて気がついたのが、私達はこんな些細な事すらそれまでやって来なかったのだということだった。 自分がどんなに家を、母を、顧みていなかったのか。心が痛んだ。 また、母のことをよく気にかけるようになってから、時折その顔に、今まで気づかなかった「老い」を、見て取るようになった。 それは所々の皺であったり、髪の毛に混じる白いものであったりと、形は様々だったが、母の体に溜まった疲れと、衰えとを、はっきりと示すものだった。 母ときちんと向き合うようになってから、様々なことに気づくことができた。 その一つ一つが、自分にとって母がどれだけかけがえのない存在であるか、私に教えてくれた。 そして、母に甘え頼ってきた自分が、今度は母を助けてやらなければならないのだと、強く感じたのだった。 一年経った今、母は、手術が成功してもうすっかり元気になっている。 だが、私があの時感じた強い思いは、今でも変わらない。
母親の病気をきっかけに、母親と自分の関係が変化してきた過程が素直に書かれていて、よい作品だと思います。 作者の母親に対する気持ちがしっかり伝わってくるし、家族の状況や母親の老いの変化が具体的に書かれている点も、審査員全員の高い評価につながっています。