36℃の言葉。あなたの体温を伝えてほしい。 2008年度 日本福祉大学 第6回 高校生福祉文化賞 エッセイコンテスト入賞作品集
学長メッセージ
審査員の評価と感想
入賞者発表
第1分野 人とのふれあい
第2分野 あなたにとって家族とは?
第3分野 わたしが暮らすまち
第4分野 社会のなかの「どうして?」
学校賞
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入賞者発表
第4分野 社会のなかの「どうして?」
優秀賞 本当に必要なことは
山形県立山形聾学校高等部 1年 五十嵐 純平

 僕の呼び方は、いったいどれが正しいんだろう。これが僕の最近の疑問だ。
 「障害者」?「障碍者」?それとも「障がい者」が 正しいのだろうか?
 最近は、「しょうがいしゃ」という言葉にこの三つの漢字が当てられている。 テレビの字幕や新聞等でも障害者の「害」の字は、不快感を与えて好ましくないという理由から、「碍」またはひらがなで「がい」と表記するケースが増えてきた。
 僕は耳が聞こえにくいという障害をもっている。 僕は自分について「聴覚障害者」という呼び方に違和感をもってこなかった。 なぜなら、この場合の「害」は、障害をもつ人にとってなんらかの生活上の差し障りがあるということであり、他人に迷惑をかけたりするという意味ではないからだ。
 逆に言えば、文字だけを取りかえてしまおうとする考え方に、僕はある意図を感じてしまう。 それは、「害」という字をあえて使わないことで、世の中全体が「障害者」に気を遣っているという、極端すぎるアピールになってしまわないかということだ。
 また、さらに、文字だけにこだわってしまうと、僕達の存在自体が、保護が必要で、世の中の「害」の存在なのだと印象づけてしまわないか心配になる。
 僕は「障害」の文字を変える必要はまったく感じていない。
 僕は障害の「害」の字を変えることよりも障害者が、実際にどんな場所で困っていて、どんなことを考え、どんな夢をもっているのか、 そういったことを理解してくれる人が一人でも多くなってくれる社会を望む。 そして、文字などにこだわらなくて良い、心のバリアフリーが一番必要だとも思う。

講評

 当事者からの呼びかけが、読者の心に素直に届いています。 言いたいことをはっきり言って、論旨明快な点を評価しました。 「心のバリアフリー」について触れた作品が何点かあった中で、最も優れた作品だったと思います。 ただ、少し理屈っぽくなっている点が残念です。

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