ある朝、元気よく走り出す小学校一年生の男の子。その背中に、お隣さんの声。 「いってらっしゃい。車に気をつけてね。命は一個しかないんだからね。」 玄関先の母と私が思わず笑ってしまうと、 「うちの子、ゲームみたいに、命も何回でもあると思ってるのよ。やんなっちゃうわ。」 と笑った。 小型化も進み、ますます臨場感あふれるゲームは確かに楽しい。 また、パソコンや携帯電話を利用すれば、居ながらにして世界中のあらゆる情報や品物を手に入れたり、見ず知らずの誰とでも会話をすることができる。 そしてこれらは、もはや私たちの生活に欠かせないほど便利なものとなっている。 しかしその便利さの裏で、有害サイトや詐欺などの被害が続出し、毎日のように新聞やテレビなどを騒がせている。 そんな中、秋葉原の歩行者天国で、あまりにも凄惨な無差別殺傷事件が起きた。 その犯人もまた、身勝手な孤独感の中で、携帯サイトに依存していた。 ゲームで遊ぶとき、メールを打つとき、一体私たちは何を見、何を感じているのだろう。 時間も空間も越えて何でもできると錯覚し、造られた世界を自由に楽しんでも、スイッチを切れば、途端に現実の自分に戻ってしまう。 でも現実の世界は、自分に都合のよいことばかりではなく、辛いことも苦しいこともたくさんある。 しかしその現実から逃げていては、人としての本当の痛みが分からなくなってしまうのではないだろうか。 ぶつかり合い、思い合い、ときに傷つき苦しくても、人と人とのふれあいからしか学べないことが、きっとあると思う。 家の前で、お隣りの子供たちがボールで遊んでいる。 順番のことで、もめている子、それをなだめる子。でもいつのまにか笑い合う。 楽しそうな声とキラキラの西日が部屋に満ちる。きっと大丈夫。 子供たちの声に、私はなんだかほっとしていた。
今の時代を感じる象徴的な作品の一つです。 パソコンや携帯電話全盛の現代でも、人と人が直接ふれあうことが大切だということが、子どもたちの動きを通じて伝わってきます。 最初と最後の子どもたちのエピソードはうまく書けていますが、中間部の作者の主張とスムーズにつながっていないところがあるように感じられました。