7月6日、私は長崎中央橋の上で、大きな声を張り上げていた。 被爆地長崎から平和への願いを国連に届けようと地元の高校生達が始めた一万人署名運動に参加したのだ。 アスファルトの照り返しは強烈で、頭は朦朧としてくる。 それでも、せっかく山口県からやって来たのだからと勇気をふり絞って、「どうか平和への願いをこめて署名して下さい」と呼びかけていく。 「ご苦労様。頑張らんね」とにっこりペンを握ってくれる人もいるが、中には「あ、そういうのはちょっと…」とか「結構です」と言い放つ人や、無言で手を振り払うようなしぐさをする人もいる。 極めつけは「あんたの制服、みかけんけど、どこの高校ね? こんなことしとる暇があったら、勉強せんね!」というお小言。 私は「こんなにいっしょうけんめいやってるのに、どうしてそんなひどい事を言うの?」と泣きそうになった。 その時、隣りで署名板を抱えていた高校生が 「あんな風に言う人がいなかったら、うちら良い事してるって、のぼせあがってしまうかもしれん。署名してくれる人も大事やけど、署名してくれん人も大事」 と耳元で囁いた。ほてっていた体に水をかけられたような気がした。 これまで「どうして?」という違和や憤りは、「世の中いろんな人がいるから仕方ない」と受け流すようにしてきた。 でも異なる感じ方や考え方こそ正面から受けとめ、自分の感じ方や考え方をそこに向けて、より弾力性のあるものに育てていくべきだったのだ。 「受験勉強も大事だと思ってますが、それ以上に今みんなでつながりあって平和の事を考えたいんです」と伝えるチャンスを逃してしまった事を後悔している。 私の「どうして?」は他者の「どうして?」とぶつかりあいながら、いつか幸福な出会い直しの日を待っている。 その日のために、つながろうとする手を心地良い方にだけ差し出してはならないと教えられた、気温36度の長崎体験だった。
作者自身の署名運動体験を通して感じた思いを素直に表現した作品です。 世の中にはいろいろな意見があるという多様性に気付き、 自分の「どうして?」と相手の「どうして?」をぶつけ合いながら、 「より弾力性のあるものに育てていくべき」だと感じた前向きな姿勢が伝わってきて、好感が持てます。