今日は遠足。田舎の小さな駅で乗り換える時、電車を待っていた僕の隣に一人の高齢の女性が来た。 「いい天気ですね」と、話しかけられ会話は始まった。 僕は大人の人から話を聞くのが好きだ。なぜなら、体験していないことを聞けるから。 電車が到着し、女性は僕の横に座った。女性はこれから、山奥に咲く桜を見に行くのだそうだ。 昨年息子さんと一緒に行ったのに、今年は一人で見に行くのだとちょっぴり寂しそうだった。 窓から流れる景色が街から山村に変わるにつれ、会話も弾んでいき、女性は家族について話し出した。 「最後の息子の顔は、とてもかわいそうだったわ。苦しんで死んでいったの。今生きていれば幸せになれたのに」 女性は五人のうち三人の息子さんを戦争で亡くした。旦那さんは軍の人から亡くなったことを聞いただけで、今も帰ってくることを願っておられる。 戦争≠ニいう言葉がとても身近に響いた。教科書には載っていない生の声だ。僕は女性にどのような言葉をかけるか戸惑った。 命を失った悲しみを簡単な言葉で片付けてはいけない。 僕は生まれてから一度も身内で亡くした人もいないし、葬式というものがどんなものかわからない。 だから家族を亡くした女性の気持ちをわかることが出来ないのが悔しい反面、幸せだと思った。 下車するとき、女性は「ありがとう」と僕に感謝を言い、目に涙があった。 僕は驚きと同時に知らずと頬が緩むのを感じた。女性は同情の言葉を求めていたのではなく、自分の苦しみを誰かに聞いて欲しかっただけなのだ。 女性は今90歳。きっと、旦那さんや息子さんの分を生きている。 僕と話したことで女性が幸せへと近づけたのなら僕もうれしい。「これからも幸せになってください」と、願いを込めながら電車を見送った。 今日はまだ始まったばかり、友人が待つ集合場所へゆっくり向かった。
作者が90歳のお年寄りと出会い、話をした時に感じた素直な気持ちが表現されている作品です。 「命を失った悲しみを簡単な言葉で片付けてはいけない」という作者自身の気持ちがしっかり描かれている点もよいと思います。 また、最後の「今日はまだ始まったばかり、友人が待つ集合場所へゆっくり向かった」と、あっさりまとめている点が読後感をすっきりさせています。 全体の構成を工夫すると、もっと良くなると思います。