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「募金箱の先には」 |
捜真女学校高等学部 三年 築地 真理子 |
昨春、私はカンボジア研修に参加した。未だに癒えぬポル・ポト政権による大量殺戮の傷跡、ゴミ山での暮らしを余儀なくされた極貧の人々がいるという現状、発展途上国だという先入観から、この地に出向くにあたり不安による多少の戸惑いさえ感じたことは事実であった。しかしながら、それ以上に私の気持ちを駆り立てたもの、それはピートゥヌー小学校への訪問にあった。
この小学校は私が中学一年生であった時に生徒らによる地道な募金活動と努力の結果、建設された学校である。実際私も、『相手の見えないこの募金箱の先にはどんな世界が広がっているのであろう』と、興味を持っていたものの、入学したてであった当時、『では、一体自分に何が出来るか』が見出せずにいた。
高校生になったある日、高校生になるとカンボジア研修に参加出来るという話を聞いて、私はすぐに決断したというわけであった。
事前学習や準備は大変であったが、子供達にあげる学用品を校内で集めていると、次々と集まってくるノートや鉛筆一つ一つに子供達の笑顔が思い浮かんでくるようであった。
いざ小学校へ着くとたくさんの生徒が快く出迎えてくれた。非常に懐っこい為、腰に抱きついてくる子もいれば、腕にぶら下がってくる子もいる。皆でじゃれ合っていると、ふと、私は隣にずっとついて来ていた小さな女の子に手を握られた。小さな小さなその手は、肌が荒れてガサガサであった。一本一本の指は細く弱々しくて、今にも折れてしまいそうであった。しかしその手の温もりに、確かな少女の存在を感じた。出会ったばかりの、この小さな存在を『いとおしい』と思った。『守りたい』と思った。六年前に想像した募金箱の先の世界が、いま、そこに広がっていた。その重みが零れ落ちてしまわぬよう、強く強く握り返した。
募金箱を見つめるだけでは見えてこない世界。その世界を『伝えなければ』と、思った。 |
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募金をしただけでなくカンボジア研修にも参加して、小さな女の子の手を握った実体験を通して感じたことがきちんと表現されています。一歩踏み込んだことで得た作者の精神的な成長が読者に伝わる作品です。最初に募金をした中学一年生から現在の高校三年生までの六年間という大きな時間の流れと、子供達との出会いという一瞬がうまく入っていて、「募金箱の先」が見事に表現されている構成力も高く評価され、最優秀賞に選ばれました。作者がこの経験を将来どう活かしていくのか、楽しみです。 |
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