能動触による図形認知特性の実験心理学的分析
−視覚障害者向け触図作成ガイドライン構築−

Psychophysical analysis of figural recognition by active touch
-toward a guideline of tacticon for a visual impairment-

研究代表者  中村信次(日本福祉大学情報社会科学部 助教授)
研究分担者  久世淳子(日本福祉大学情報社会科学部 助教授)
     研究分担者  尾形真樹(東京ライトハウス)

研究期間 2003年度〜2004年度

 

【要旨】
 本研究においては,中途失明者向けの触図作成の際のガイドライン策定に向けて,触知覚特性の実験心理学的分析を行った.実験1においては,視覚コミュニケーションにもちいられるピクトグラムを触マーク化し,その触図としての適合性を検討した.また,実験2では,アルファベットおよび単純な幾何学図形を触シンボル(タクティコン)として利用することを試みた.さらに実験3では,新たな触図提示手法としての点図ディスプレイの可能性を検討した.一連の実験の結果,触認識特性の視覚認識特性との違いに起因する,触マークや触シンボルの認識の具備すべき要件が明らかとされた.

【研究目的】
 本研究は,視覚情報を用いることのできない生活者(以下視覚障害者)に対する代替情報提示手段としての触図の可能性を検討したものである.視覚障害者,中でも視覚情報をまったく使うことのできない全盲者に対する情報提示手段としてまず思いつくものとしては,点字があげられる.点字とは6組の点の凹凸の組み合わせにより,音素を表現するものである.先天性の全盲者の多くは,盲学校等の学校教育の過程において点字の読み書きを学習し,日常生活におけるコミュニケーション手段として活用している.しかしながら,視覚障害者の大半(7割以上といわれる)を占める中途失明者にとっては,点字の学習は非常に困難であるという問題点が指摘されている.平成8年度の厚生労働省(当時厚生省)の調査によると,視覚障害者全体の中で「点字ができる」と回答した人は全体の約9.2%にすぎず,「点字ができない」と回答した人は77.7%にも上ることが指摘されている.
また,近年のPC,インターネットの急速な普及により,視覚障害者に対する情報提示手段として,電子情報を音声として読み上げるシステム(音声読み上げシステム)の普及が進んでいる.たとえばIBM社製ホームページリーダはインターネットのウェブサイト情報を音声読み上げを行うアプリケーションソフトであり,多くの視覚障害者はこのようなソフトを用いて,ニュースサイトなどから情報の入手を行っている.しかしながら,音声読み上げシステムはPC等の装置の購入を必要とし,誰もが,どこでも,手軽に,利用可能なシステムとはならない.
 そこで本研究では,視覚障害者に対する代替情報提示システムとして,触図の活用を試みる.触図とは,指先もしくは手掌部によりそれを触り,そこに描かれている情報を読み取るものである.点字と同様に対象物の凹凸を触情報により認識するものではあるが,具体的な事物やシンボルマーク,筆記の対象となる文字(墨字)を触対象とすることが可能であるため,点字よりもその利用の学習が容易であると考えられる.また,触図は対象物に凹凸を付すのみで作成することが可能であり,立体コピー等の方法を用いれば安価に大量に作成することが可能となる.たとえば駅等の公共空間における案内図(地図)などにおいては,現状では視覚障害者向けに点字が付与されているが,それに代えて触図を利用することによって,より多くの視覚障害者が情報を入手することが可能となると考えられる.

 

 このように,触図の活用により,より多くの視覚障害者に対する情報提示が可能となると考えられる.しかしながら,現実場面における触図の普及を考える際に必須となる標準化の作業はいまだ進んでいない.そこで本研究は,利用者にとって使いやすい触図の特徴とはいかにあるべきかについて,人間の感覚特性の側面から検討を加え,触図の標準化の際に有益な基礎データを蓄積することを目的とする.

【実験1 触マークの実効性の検討】
・目的

 本実験においては,通常視覚伝達に用いられるピクトグラムを触図として利用可能か否かを検討した.ピクトグラムとは,「絵文字」とも呼ばれ,案内地図や方向表示等に多用されている.ピクトグラムを用いたコミュニケーションの特徴は,言語に頼ることなく表示内容の伝達が可能となることにある.ピクトグラムの理解は,その人の日常的な生活経験を手がかりに行うことができるので,特別な訓練や学習がなくとも,容易にその活用を行うことができる.このような特徴を持つピクトグラムコミュニケーションを触図に応用することにより,特段の利用訓練を必要とすることなく,誰でもが最初から使うことのできる触シンボル(ここでは触マークと呼ぶこととする)を作製することが可能となると考えられる.
・実験内容
1)触マークの作製
:ISO標準のピクトグラム,および日本において広く普及しているピクトグラム,計30点を抽出し,触マーク化した.触マークの作成に当たっては,Partner Vision 2051(ミノルタ社製)および盲人用立体コピー現像機(松本興産社製)からなる立体コピー作製システムを用いた.立体コピー作製システムを用いることにより,カプセルペーパーと呼ばれる特殊な用紙(加熱により発泡する性質をもつ樹脂が塗布されている)に描画されたパターンの黒い部分のみを隆起させることが可能となる.今回の実験においては,ピクトグラムの大きさを4cm四方,図形の浮き上がりレベルを1mmに設定した.
2)実験方法:視力正常な男子大学生(5名)が被験者として参加した.アイマスクをして視覚情報を遮断した状態で,触マークを自由に触探索により観察し,その後に触マークの形状を描画法により回答した.また,描画回答の後にその形状が何を示しているのかを,口頭により自由に回答した.ピクトグラムの観察は,ランダムな順序で5回繰り返した.同一のピクトグラムが繰り返し使われていることに気が付いた被験者は存在しなかった.本研究においては,点字学習を経験していない中途失明者を触図の応用範囲として想定しており,アイマスクを装着した晴眼者を被験者として用いることにより,触覚コミュニケーションの経験を持たない統制された被験者群を利用可能となると考えた.

 

 

 

 

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