政策の動きをみると,1993 年に国家情報化プログラムが策定され,1996 年からは第9 次5 か年計画のもとで通信政策が展開されてきており,1998 年には経済と社会の情報化をさらに推進すべく,既存の組織を再編統合化させて国家信息産業部(情報産業部)が設立されている.移動電話加入者数は現在世界第3 位になっており,インターネットの普及も1994 年に正式に接続されてから急速に進んでいる.
ネットユーザー数は半年で倍増するほど急増しており,電子産業分野の年平均の成長速度は中国の全国GDP 成長速度の約4 倍になっている.2000 年は電子ビジネス元年と呼ばれるまでになっているとのことである.
中国情報化の発展の経緯について,国家情報化プログラムの策定に参画した国家信息センターの于教授より,中国における情報化への国家的な取り組みの契機があのアルビン・トフラーの『第3の波』の衝撃にあったということを聞かされた.工業化については先進諸国に追いつくのは大変であるが,情報化については先進諸国とほぼ同じレベルからスタートさせることが可能な分野であったということを于教授が丁寧に説明してくれた.1978 年から「改革・開放」政策が開始される中で,中国社会は情報化戦略を経済発展と国民生活の向上のための重要な戦略として展開してきたのである.
『第3の波』の衝撃を契機に中国の情報化への取り組みが触発されたことは社会情報学が専門の清華大学の崔保國博士にお会いした際にも伺うことができた.このことに関連して崔博士から,中国社会の近代文明化は日本や欧米の先進諸国とは異なるモデルで進展しつつあるという研究成果についても伺うことができた.この文明論に関する筆者との議論に崔博士は大変興じられ,昼食時間にも引き続き議論をしようということで清華大学のゲストハウスでさらに交流を深めることとなった.話は脱線してしまうが,崔博士が注文された中華料理は日本人の舌に合う料理を選んで注文されたではないかと感じるほどに美味しかったことを覚えている.


また,中国社会科学院新聞研究所日研信息センター主任の劉志明氏ともお会いしたところ,中国でのインターネット利用の最大の理由がニュース情報にあるとうかがい,日本での利用とは大きく異なっている点が印象に残っている.由氏は「中国の庶民は,新聞配達という仕組みがないことにも一因があるが,新聞はほとんど読まない.」と教えてくれた.新聞やテレビでのニュース情報と違い,インターネットで得られるニュース情報は面白いとのことであった.
今回の聞き取り調査では,国家信息産業部(郵電部門と電信研究院)や関連企業の関係者にもお話を伺うことができた.訪問した企業は,ビジネスユーザー用ネットワークシステムに関するサービス業務を開始した新合弁会社(「北京電信NTT 工程有限公司」),清華大学や中国人民大学の若き研究者などが起こした情報産業関連のベンチャー企業(4 社),移動電話などの電信サービス事業の発展を促進させるために政策的に新設された会社(「聯合通信有限公司」)などである.いずれの企業からも変化しつつある中国社会の中でビジネスチャンスにチャレンジしようという意気込みを強く感じ取ることができた.
この夏の調査の範囲からであるが,現代の中国には工業化と情報化の二つの波が着実に動き始めており,特に情報化戦略は国の最優先の戦略となっていることがわかった.
筆者の感想としては,急速な進展ゆえに少しばかり上滑り的に進展しているようにも感じられた.国際社会の中でいずれ先進諸国との競争を余儀なくされる状況になった時,どこまで基盤的な技術力が培われているかが問われることになるのではないだろうか.いずれにしても,今後5 年ほどの間に中国の情報化は外国企業の参入とも相俟ってさらに急速に進展していくと予想され,国民生活にも大きな影響を及ぼしていくのは間違いないといえよう.

左より, 劉教授, 近藤, 崔博士
 
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