ある方が, 「何と言おうと, 老いは悲しく, 暗く, いやだ。 さりとて, 人間が老いを全く知らず, 何時までも青春の若さを保っているとしたら, これまた困る。 上手に生き, 上手に老いればいいのだが, どっこい, そうはいかない。 …老いのなげきをともかく少しばかり, …」 として以下のように書いておられます。
- 言うまでもなく, 身体が敏活に思うように行かない。 隣の茶の間の電話がなっている。 だが, 立ち上がってそこ迄すぐさま行けない。 やっとたどりついたと思うと, どういうわけか, その途端に電話は切れてしまう。 こういう経験を私は毎日のようにいまいましく経験する。
身体がのびきったゴムひものようにだらけてくれば, 当然のことだが敏活な身体があってこそ反応できる肉体のよろこびがだんだんなくなっていく。 老いとは, 人間に与えられたさまざまな快楽をひとつひとつが否応なしにもぎとられていく季節だ。 楽しかろう道理がない。 だから, そのうめ合わせにもならぬ名誉とか名声とかにやたらあこがれる。
すべての事が面倒になる。 おっくうになる。 いまそれをやっておけば, あとになってそれだけ手間が省けるのに, 充分とわかっていながら, 面倒になってそれをしない。
人と会って相当の時間しゃべっているのが苦痛になる。 だから, いきおい黙ってしまう。 いつも黙っていれば, 気むずかしい老人だと言われる。 だが八十を越して, 幼稚園の子どもたちのようにいつもペチャクチャと喋っておれるか。
快楽の数がへり, 種類が限定されてくれば, どうしても食べることに熱心になる。 八十過ぎて, 生き甲斐はあるかときかれれば, 「ある!ただし気に入ったものを気に入った時に食べるだけだ」 と答えよう。 舌はもはや喋る道具ではなくなって, 食べる道具になってしまう。 私は食いしん坊だ。 だから何を食べてもうまいともまずいとも言わない老人を見ると, 私はハラが立つ。
なにもかもが, 自分の思い通りに行かない。 それがときどきハラが立つ。 というよりは, 自分がのけものにされているようなヒガミをもつ。
こんな風に老いの愚痴ばなしを書き出したらキリがない。 それに近頃はやたらに若者たちにこびている。 気にくわない。 それにしても老いの暗さ, 悲しさ, 等々の底にあるものは, 死の影だ。 これだけはどうにも払いのけることができない。 私はこの年になっていまさらのように死というものを考える。 これを考えると一切のものが灰色になる。
ということだそうですが, 面倒で, おっくうで, いまやっておけばいいものを先延ばしにするのは, 何もこの方ばかりでは…。 また, バイクで暴走している若者たちを見ると, なにもかもが思い通りにいかなくて腹が立っているのかなあ, と思います。 この方が老人代表, というわけではもちろんありません。
いずれにしても, よくわからないことを, よくわからないまま, 学んでいこうというのが, ゼミの主旨です。 分野や内容は, 広範囲に及んでよいと思います。 ゼミのすすめかたについても, 話し合いのうえ, 決めていく予定です。 ただし, 「茶飲み話」 に終わらせることは避けたいと考えています。
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