リアルなイメージが形になった
「フラワー園」
|
河津 恵子・かわつ けいこ
名古屋市生まれ.
実際に介護を受けられたお母様のご遺志と,ご自身がお母様の介護から学び取った経験から,お年寄りにや
さしい施設を建設しようと一念発起.
現在 「社会福祉法人 フラワー園」 理事長としてこの 3 施設の運営に, 熱意をもって自ら携わっている.
|
|
● 佐々木
こんにちは. お忙しいところお時間をとっていただいてどうもありがとうございます. さっそくですが,
まず, 河津さんが,
現在三つの施設を有する社会福祉法人 「フラワー園」 をお始めになった経緯ですとか動機を教えていただけ
ますか.
● 河津
そもそも, 最初は母が始めたものです. 同居していましたが, 自分がなんとなく衰えてくると 「居場所が
ない」 という感じがしたり, 同窓のお友達ともそんな話題が出たようで, あちこちの老人施設を一緒に見
学に行ったようです. もちろん初めてそのような施設を見て, あそこはどうだった, ここはどうだったと
感じることが多かったようです. そして母なりにいろいろ考えたようで, 私どもの本業が不動産の賃貸な
ものですから, 最終的にそれを生かしてそういう施設の事業ができないかと思ったようです. そうこうし
ているうちに, 世の中でも老人福祉施設の必要性が強く意識されはじめてきました. その頃は, かれこれ
9 年くらい前ですが, まだ景気がよかったので, かなり豪華な民間の施設等も建設されていましたが, い
ろいろな経緯の中で名古屋市のすすめもあって社会福祉法人を創ることになったようです.
● 佐々木お母様は, まだご健在ですか.
● 河津
いいえ, フラワー園の開設後しばらくして亡くなりました.
そのころ, 名古屋都心部の特別養護老人ホームはまだ少ない時でしたので, 市の方も大歓迎ということ
だったと思います. 私はよくわけがわからないし最初は反対もしました.
|
|



 |
実際お金のやりくりも大変でし
たから. でも名古屋市の方の強いすすめもあって, あれよあれよという間に進んでしまって, 建物の設計
も設計士さんにお任せでした.
ともかく開園して, 母自身も体が悪くなったのでそこに少しの間暮らしました. そうすると, 食事の時に
エレベーターが大混雑するとか, いろいろと改善したいところが見えたきたわけです. 私も母のそばにい
てそういう話を聞いたり, 初めてお年寄りと身近に接することになりました.
● 佐々木
身内がお世話にならない限り, 福祉施設とはなかなか縁がないですよね.
● 河津
そうなんです. 例えば, 入所されたばかりの方がすることがなくて天井の電球の数を何回も何回も数えて
いるという話を聞いたり. そんななかで, 本当にこれでいいのかな, 私どもに何ができるかなといろいろ
考えていて, とうとう, それならいい空間をもった施設ををつくればいい, となったわけです.
でも実際にはものすごい決意が要りました. 母も施設のために土地を寄附するには重大決心をしたようで
すし, さらにとなると, 先祖代々の土地をちゃんと守っていくのが使命のようだった母もどう思うかな
と. でも社会とかかわっていくのにこういうあり方もこれからはあるのではないかしらと, ながながと悩
んだ結果, うちで残っている一番広い都心の土地を寄附することに決心をしました.
● 佐々木
ここは名古屋駅まで約2kmですから不動産価値がとても高い場所ですよね.
|
 |
佐々木 葉・ささき よう 東京工業大学大学院総合理工学研究科前期博士課
程修了 工学博士(東京大学) 情報社会科学部 助教授 専攻は都市景観論、景観デザイン
td> |
|
NEXT
|