3. 社会的ネットワークにおける都市と農村との限界を突き破った接点

 本調査においては主に農村地域と県政府所在地の市と郷政府所在地の鎮で, 中国語でいわゆる 「小城鎮」 を対象地域にした. 調査対象の基本情報が表1に整理されている. 戸籍をみれば, 創業の時農村の戸籍を持っていた人が 25 人で 73.5%を占めることが分かった.
 周知のように, 中国においては 50 年代末から 80 年代末にかけて, 産業化のための資本蓄積と資源の調達が効果的に行われると同時に, 都市の社会的コストを削減し, 蓄積された資金を最大限に工業に投入する方針がとられた. 具体的な措置としては, まず農村の余剰労働力の都市への流入を止める戸籍制度が厳格化され, 制度的に都市と農村とが隔離された. また, 政治運動中の批判対象とされた人が都市の戸籍を剥奪され, 強制的に農村に移住させることが政治統制の手段として使われて, 戸籍は身分制度のように人の社会的移動を拘束してきた. その時代は情報伝達手段が未発達のため, 農村と小さい町 (鎮) には外の情報がなかなか入らず, 情報の流れが非常に悪かった. さらに義務教育制度の不備のため, 農村地域の教育レベルが都市よりはるかに遅れ, 大学への進学により都市に入る道が多くの人にとって, 無縁なこととなった. このような閉鎖的な社会環境の中に, 都市よりいち早く市場経済へ参入した私的経営者が多く生まれたメカニズムについては社会制度の分析でも経営学の人材育成の理論でも説明しきれないところが多い. 本調査を通じて農村戸籍を持っている私的経営者の内, 社会的ネットワークを通じて都市と接点を持っているひとが 96%となっていることが分かった.


つまり彼等は何らかの形で都市とつながっている. 無論地域によって特徴が異なっているが, 大ざっぱに次のように分類できる.
(表2参照)
 彼等の都市での経験では一番多いのは闇商売を行うことで, 48%となり, 次いで亦工亦農労働者と軍隊に入隊した経験を持っている人が 24%となり, 下放二世が 20%で三番目となっている. 彼等の都市での生活経験を通じて都市と接点を結ぶプロセスを見てみよう. まず, 都市での闇商売について見よう. 1978 年までは市場が基本的に政府にコントロールされ, 品不足が長く続いたので, 生活用品の修理や部品の交換なども非常に不便な状態にあった. 都市では生活品の闇商売と無許可の職人の活動に対する取締りが行なわれていたが, 市場のニーズがあるため, 政府の取締りの隙間をぬって農村からやってきて闇商売や生活品修理などで収入を得る人が後を経たなかった. 彼等は農村の戸籍をもってはいるが都市や町での商業活動を通じて多くの地域の人と接点を結び, 市場に関する情報も流れてくることから, 商売のノウハウもよく分かるようになった. 市場経済への転換にあたって, 政策に許されると彼等はいちはやく企業を起こすことができた. これが温州地域の私的経営者の特徴として見られる.
 次は亦工亦農労働者と軍隊の経験者について見よう. 亦工亦農制度は 1960 年代から改革まで都市の企業に欠かせない季節的・臨時的労働力の需要に対して, 導入された労働制度であった. この制度で雇用された農民は都市の戸籍をとることができず, 一定の期間を終了すると, 農村に戻ることが決められている. 雇用期間は企業によって個々に決められ, 3ヵ月ほどの短い期間もあれば, 何年間にもわたって継続したケースもある. 亦工亦農労働者は多くの場合正社員と一緒に仕事をしているが, 長く継続しても正式な従業員になる可能性は非常に稀で, 結局は農村に戻らざるをえない人が多かった. これと似たケースが軍隊に入隊することであろう.
表2 農村戸籍の私営経営者の都市での経験
経験/地域温州(4人)陝西(8人)江西(13人)合計(25人)
都市で闇商売3人(75.0%)3人(37.5%)6人(46.2%)12人(48.0%)
下方二世 1人(12.5%)5人(38.5%)6人(24.0%)
合 計4人(100%)7人(87.5%)13人(100%)24人(96.0%)
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