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はじめてのふくし

コラム

【コラム1】世界人権宣言

1948年に国際連合の第3回総会で採択された宣言。前文以下30条にわたって個人の基本的自由、労働権、経済的社会的文化的な面における生存権的権利などをくわしく規定し、世界の平和と正義のため、そうした保障が国際社会の義務であるとうたっています。
もっとくわしく調べてみよう:世界人権宣言
ホームページなどで実際の宣言文を読んでみるなどしてみましょう。

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【コラム2】学校がほしい - 通えない子どもたちが1億2,100万人も

中国映画「この子を探して」には、中国のいなかの学校風景が映うつ し出されていました。中国には、上海(しゃんはい)のような ニューヨークと見まちがえる都市がある一方、貧しい農村 もあるのです。短くなった鉛筆一本、折れたチョーク一本 を大切にして、学校で新しい知識に出合うことに目をかが やかせる姿は、不登校が増えつづける日本とはずいぶんち がいます。ユニセフの『世界子供白書2005』によると、 学校に通えない子どもは、世界で1億2,100万人もいるそ うです。 戦争で学ぶことができない国もあります。カンボジアで は、ポル・ポトという人が行った独裁政治によって国が荒 らされました。学校も大きな被害を受けました。テレビド ラマの金八先生の作者、小山内美江子さんは、戦争で苦し む人たちが国をたてなおす力をつけてくれるようにと願っ て、カンボジアで学校をつくるボランティアをしています。 それでも学びたい子どもは学校の外にあふれています。
調べてみよう:カンボジアの経済復興
ふっこう 小山内美江子『「ボス」と慕われた教師』(岩波書 店, 2003)には、カンボジアの学校復興に力をつく した北海道の教師の話が描えがかれていますので、図書館などで読んでみましょう。

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【コラム3】ユネスコ学習権宣言 - 学ぶことの大切さ

「学習権宣言」は、1985年3月にパリのユネスコ本部で 開かれた第4回ユネスコ国際成人教育会議において採択されました。 「学習権とは、読み書きの権利であり、問い続け、深く 考える権利であり、想像し、創造する権利であり、…」と 宣言文が続きます。 学ぶ権利は、「生き残るという問題が解決されてから生 じる権利」ではなく、「未来のためにとっておかれる文化 的ぜいたく品」でもありません。学ぶことによって、生活 水準を向上させ、農業や工業を発展させ、健康な生活を続 ける力を育てます。戦争をさけたいのなら、平和に生きる こと、互いの理解を深めることを学ばなければなりません。
調べてみよう:ユネスコ学習権宣言
ホームページなどで、ユネスコ学習権宣言を探して読んでみましょう。また、ユネスコのホームページ (http://www.unesco.jp/)にはさまざまな活動が 報告されているので、見てみましょう。

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【コラム4】「寝たきり老人」のいる国いない国』- 介護保険制度はできたけれど

大熊由紀子さんは、『「寝たきり老人」のいる国いない国』 (ぶどう社, 1990)という本を書きました。この本で彼女 は、北欧には寝たきりの高齢者はいないのに、日本では少 しでも歩ける高齢者が無理やり寝かせられているのはな ぜ、と問いかけました。北欧では、高齢になって身体的、 精神的に不自由になっても、身近に生活の手助けをしてく れる人が多数(住民1万人にヘルパー400人)いて、仕事 として不自由さを補ってくれています。また、自分の力で 生活できるための福祉器具の開発にも力を入れています。 補助器具センターには、100種類の杖(つえ)、30種類の電動車イ スなどが用意され、無料提供されています。 1990年当時の日本では介護(かいご)保険制度もなく、家族に 負担(ふたん)がかかりすぎていました。だから、からだの不自由な 人は、寝かせて世話をする傾向が強かったのです。寝かさ れた人は、せっかく残っている力も発揮できません。それ では生きる意欲も失われがちになります。家族は、介護(かいご)に 疲れて病気になったり、ときには、介護(かいご)疲れから殺人がお こったりもします。この本がキッカケの一つとなり、日本 でも「寝たきり老人ゼロ作戦」「ヘルパー10万人計画」が 推進されました。そして、2000年4月、介護(かいご)保険制度がスタートして、社会で介護(ケア)する仕組みが生まれました。
調べてみよう:北欧(スウェーデンやデンマーク)の最新状況
コラムで紹介した内容から10年以上経過しています。
「ふくし」の先進国がおこなっている最新の取り組 みは、どのようなものなのか調べてみましょう。

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【コラム5】障害者だから…ではない、さまざまな立場とものの見方

江幡玲子さんたちが編集した「ボランタリズム」(至文 堂,『現代のエスプリ』2003年11月号)のなかに、「三人 の日記」という文章があります。これは、同じ体験をした 三人が、それぞれの思いを書きつづったものです。 会社員の日記「車内で松葉杖(つえ)をついた男性を見つけ、目 の前に座る学生風の男に席をゆずるようにうながした。学 生はコソコソと別の車両に移った。男性を座らせ、すがす がしい気分で家路についた」。 学生風の男の日記「バイト先で腹が立つことがあって、 うつむいて座っていると、席をかわれという男の声がした。 俺はムカついたが、腰の痛いのをがまんして別の車両に移 った。自分がかわるわけでないのにいい子ぶってなんだ。 松葉杖でひとり乗るなよ」。 松葉杖の男の日記「次の駅でおりるつもりでドアに寄り かかっていたら、会社員風の男が、目の前に座る学生風の 男に席をゆずれと指示した。私は『いったん座ると立ち上 がるのが大変なので』とことわったが、それは聞き届けら れなかった。抱えて座らされたので、次の駅ではおりられ なかった。私は電車に乗ってはいけないのだろうか」。 障害のある人やお年寄り、子どもづれの人など、街で困 っている人を見かければ、手を貸したくなるのは人間とし てあたりまえのことです。しかし、だからといっていつも 手を貸せばいいというものではありません。だれもそれぞ れの状態や立場によって、ヘルプが必要だったり不要だっ たりするものです。「相手の立場に立って」ということは、 まさにこのことでしょう。私たちはいつも広い視野で考え、 行動したいものです。 そして、もしも人に手を貸すときにはマナーが必要です。 障害者とかお年寄りといってもみなそれぞれ時と場所、そ のケースによってちがいます。ひとまとめにすることはで きません。一人ひとりみなちがう人間だということを知る ことが、手を貸すときの第一歩です。 人に手を貸すときにはまず声をかけること。「失礼です が、お手伝いしましょうか」「何をしたらいいですか」。す べては、このひとことから始まるのです。

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【コラム6】障害学生とともに進める「ふくし」

私たち日本福祉大学は、創立以来、どんな障害のある学生 でも積極的に受け入れてきました。そして、障害のある学 生もそうでない学生も、教職員といっしょになって、キャン パスのバリアフリー化に取り組みました。 一番大事なことは、互いの存在を認め、支えあって成長 していくという「心のバリアフリー」の考え方です。 2005年6月現在、障害のある学生は158名です。通信教 育部では、病床(びょうしょう)で受講する学生もいます。最近では、他の 多くの大学でも障害のある学生の受け入れが広がっています。このため本学には、他の大学ではまだ受け入れられに くい重度の障害をかかえた学生が集まる傾向があり、100 名を超えています。重いハンディキャップを軽減するため に、多数のボランティア学生が活動しています。 また、情報社会科学部では情報機器の開発を企業ととも に行い、教材開発や授業のやり方を改善するために熱心に 議論がおこなわれています。 こうした取り組みが評価され、2003年度には、文部科学 省「特色ある大学教育支援プログラム」に選ばれています。
調べてみよう:身近にあるバリア
身の回りにあるバリア(障壁)について考えてみましょう。そして、どうすればバリアフリー化できるかも考えてみましょう。

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【コラム7】障害者の平等をうたったアメリカの「ADA法」

ADA法というのは、「障害を持つアメリカ人法」。つま り、障害者の人権と平等を実現するために、障害者の社会 的参加に対するあらゆる差別を禁止する法律で、1990年 にスタートしました。 障害があっても、社会に参加することができることは当 然のことです。そのために必要な公共施設、商業施設、交 通機関は、すべて障害の程度にかかわらず利用できるよう に整備することが義務づけられました。 また、障害を理由にして、就職や学校への入学を拒否す ることを禁じています。電話会社に対しては、耳や言語の 不自由な人向けの特別サービスが義務づけられました。 建築の基準に、車イスに必要な通行幅、階段や風呂場の 手すり、エレベーターの開閉速度などが細かく指示されて います。 アメリカの約4,900万人の障害者がこの法律によって守 られています。
調べてみよう:ADA法
ADA法がどんなものなのかもう少し詳しく調べて みましょう。また、法律ができた現在のアメリカの 福祉事情についても調べてみましょう。

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【コラム8】社会福祉士と介護福祉士の違い

社会福祉士と介護福祉士は、いずれも国家資格であり、 社会福祉の現場における代表的な資格です。社会福祉士は 「福祉に関する相談・助言・援助」による対象者の生活全 般の支援が業務の中心となり、介護福祉士は「日常生活の 介護(入浴・食事・排泄)と指導」が業務の中心となりま す。そのため、仮に就職した先が同じであっても、担当す る業務内容は異なってきます。 また社会福祉士は「相談・援助業務」の性質上、施設な どの利用者本人のみならず、その家族の対応や地域社会と の連携業務なども発生し、福祉の知識のほかに、相談時の コミュニケーション能力や、医療や社会保障への幅広い知 識が必要となります。 幅広い知識と技術が必要となる社会福祉士の養成は、主 に4年制大学でおこない、介護福祉士の養成は、短期大学、 専門学校で多くおこなっています。

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【コラム9】「児童養護施設」の役割

児童養護施設というのは、むかしは孤院(じいん)といわれまし た。日本では、1887年に石井十次という人が岡山孤児院(こじいん) を開いたのが最初です。世界に目を向けると、「子どもの 権利条約」(1989年に国連で採択。子どもの発達成長を支 えるための国際的な約束ごと)の精神的な父といわれるコ ルチャック先生のユダヤ人孤院(じいん)が有名です。 いま、児童養護施設には、親のいない子のほかに、親に 虐待された子どももたくさんいます。施設は、そうした子 どもたちの心を支え、ひとりだちする力を身につけさせる 役割をはたしているのです。
もっと詳しく調べてみよう:コルチャック先生
コラムで紹介した内容から10年以上経過しています。
コルチャック先生は、孤児 たちとともにナチスのトレブリンカ収容所で殺されました。なぜ、そうなっ たのかホームページや図書館で調べてみましょう。

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【コラム10】ビッグコミックで長期連載された人気マンガ『家栽の人』

(毛利甚八・原作、魚戸おさむ・絵,小学館, 1988-1996) は家庭裁判所が舞台です。主役は最高裁判所長官を父にも つ桑田判事。将来を期待されていながら、なぜか地方の家 庭裁判所ばかりを回っています。その桑田判事(はんじ)が、家庭裁 判所で取り扱う相続、離婚や少年事件など1話完結の形で 取り組んでいきます。 タイトルの「家栽」は、家庭裁判所の略語「家裁」とは 違います。作者は、家庭裁判所の「人を育てる」役割に注 目して、「栽培」の「栽」を使ったのでしょう。 家庭裁判所では、法律で処分を決めるときに、関係する 人の気持ちを大切にし、話し合いや、その人を支える手だ てをしっかりと考えます。非行少年を罰するだけでは問題 が解決しません。どうして非行を起こしてしまったのか、 どんな育てられ方をしたのか、どんなタイプの人なのかを くわしく調べて、同じ失敗をくりかえさないための教育や 福祉の援助を用意します。少年院も、こらしめのためでは なく、自分をみつめなおし、他人を思いやる力をつけ、自 信を持って生きる力を育てるための施設なのです。

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【コラム11】シルバー(高齢者)市場の台頭

国立社会保障・人口問題研究所の推計値によれば、日本では 少子・高齢化の急速な進展に伴い、2005年における65歳以上 の高齢者人口は約2,539万人、高齢化率は19.9%になっていま す『日本の将来推計人口』(平成17年10月1日現在)。 今後も高齢者人口は急速に増加し、2010年には4.5人に1人 が65歳以上、さらに年齢の範囲を広げると2.4人に1人が50歳 以上となり、いわゆる「超高齢社会」が現実のものとなります。 そこで、「シルバー(高齢者)市場」という概念をさらに広 げ、シニア(アメリカでの慣例に従い50歳以上の年長者)の 活力に着目した市場を創出することが、超高齢社会に対する備 えになります。 また、別の統計によれば、シニアの9割ほどは、介護が不要 であり、シニアの全消費の9割以上は非介護分野と言われてい ます。こうした背景を踏まえると、介護をまだ必要としない元 気な年長者を対象とした「アクティブシニア市場」が明らかに 今後の市場の中核となります。 この市場に対する“ビジネス”の展開を真剣に考えずには、 企業の生き残りは図れないといっても過言ではありません。 経済産業省の報告(平成16年、次ページの図表参照)による と、2002年から2010年における「健康・福祉・機器・サービ ス市場・雇用規模(展望)」の拡大・成長が予測されています。

健康・福祉・機器・サービス市場・雇用規模(展望)図 健康・福祉・機器・サービス市場・雇用規模(展望)図

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【コラム12】有森裕子さんが『カンボジアの旅を終えて』で訴える「ふくし」の心

マラソンランナーの有森裕子さんは、国連人口基金親善 大使として、2002年と2003年にカンボジアを訪れました。 エイズの状況を実際に見て確かめるためでした。 彼女は、自分と同年の30代半(なかば)の女性が、とてもその年 齢には見えないやせ細ったからだで、「もう一度働きたい」 と訴えて5日後に息を引きとったエピソードを紹介してい ます。「貧しい家族を助けたい」「自分の夢を実現したい」、 そう思いながら自らの身体を売る少女があとをたちませ ん。そして、エイズ孤児(こじ)が増えつづけています。有森さん は訴えます。「ひとりでも多くの若者にエイズ予防の知識 を届けたい。そして、ひとりでも多く、このことについて 考え、行動できる社会であることを願って-。できる人が、 できる事を、できるだけ、できる範囲で」と。

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【コラム13】ベトナム復興とCBR

1975年にアメリカが撤退するまで続いたベトナム戦争は、人 びとに大きな傷を残しました。戦闘(せんとう)や爆撃(ばくげき) の被害による障害、貧困(ひんこん)・栄養不足からくる失明、毒性の高い武器がもたらした後遺 症や先天性障害。「人びとの健康こそ国の財産」と考えていたベトナム政府は、とくに農村に住む貧しい人びとの健康を回復す る政策を進めました。その中心的な役割を果たしたのがCBR(Community-Based Rehabilitation:地域に根ざしたリハビリ) です。CBRでは、リハビリのトレーナーとなるのは施設の専門家で はなく、障害者の家族や隣人たちであり、地域の中でリハビリ を行います。障害者たちはグループをつくって、リハビリ活動 や、収入を得る仕事や、レクリエーション活動を計画し、その 家族や隣人はCBRのマニュアルや保健ワーカーの支援を得なが ら、それを実施し応援します。村の保健所では、医師助手やリ ハビリテーション療法(りょうほう)士がこれら保健ワーカーを支え、失明の 予防・精神病のケアなど個別の事情に対応します。さらに県内 の主要都市では、専門の小児科医らが特殊な疾患(しっかん)に対応します。 CBRは、地域社会を構成するシステムとなっているのです。 CBRで大切なのは、障害者自身がその企画・運営・実施に関 わることです。障害を持つ人々もまた、自分の知識や経験が他 の人の役に立つという自信と喜びを得ます。相互に支えあうこ とは、ベトナムの人びとが昔からさまざまな生活の場で習慣と してきたことでした。誰かに押しつけられたのではなく、自分 たちが培ってきたものを活かしていくことができる、という要 素が、CBRには重要なのです。 WHO(世界保健機関)では、これらの現場経験にもとづいた マニュアルを作成し、それはベトナムばかりでなく多くの国で 翻訳(ほんやく)されて、地域での研修や組織づくりに使われています。

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【コラム14】地域とともに歩む

日本福祉大学のある知多半島は、中部国際空港(セント レア)の開港によって、地域の新たな発展の道を探る動き が活発化してきています。すでに、愛知県と知多地域の5 市5町では、「中部国際空港を核とする知多半島観光再生計 画」を策定し、具体的な取り組みが進められています。 私たち日本福祉大学は、地域との共生・共創※をめざして います。これまでも15年余にわたって知多半島総合研究所 の活動をはじめとして、地域の活性化のために積極的に参 加、協力する姿勢を大切にしてきました。 地域との共生・共創という理念は、学部教育においても 生かされています。知多地域におけるまちづくりに貢献す るための実践型教育の導入がそれです。地域のくらしを豊 かにしていくためには、地域にあるさまざまな問題を解決 していかなくてはなりません。この地域問題を解決してい くための過程を、体験しながら学び、その成果を地域に還 元していこうとするものです。 なかでも、本学経済学部が中心となり、新しい時代の大 学教育のあり方を探る試みの一つとして、学生参加による 実践型の教育を知多地域全域で展開しています。その大き な狙いは、地域に貢献することと問題解決能力を養うこと です。授業の一環として、商店街の活性化、新たな観光資 源の発掘、歴史的な町並み保存、地域の国際化などの調査 研究や提案づくりを進めています。こうした取り組みが評 価され、2004年度には、文部科学省「現代的教育ニーズ取 組支援プログラム」(現代GP)に選ばれました。 「くらし」を豊かにしていくためには、私たち一人ひとり が「地域とともに歩む」姿勢と、その技術としての問題解 決能力の向上を図ることが、ますます重要となってきてい ると言えるでしょう。 ※地域との共生・共創とは、地域の多様な年代層の人びとは もとより、政府・自治体部門、市場部門、ボランタリー部 門が協力し合って、共に快適な地域をつくりあげていく ことです。

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【コラム15】戦争と平和を考える

日本福祉大学創立50周年記念として開催(実施)された、 第1回高校生福祉文化賞エッセイコンテストの最優秀作品 の一つに函館ラ・サール高校1年、小渡真人さんの「アレ ン・ネルソン氏が教えてくれたこと」が選ばれました。 「(ベトナム戦争を闘った元米兵ネルソン)氏が語る戦争 は、想像を遥かに超えるものだった。人間は片端(かたっぱし) から殺す。寝込みを襲い、ジャングルに逃げる女子供を容赦(ようしゃ) なく殺す。辺りは死臭(ししゅう)、血の臭いが充満しているというのだ。 氏は帰国後10年以上もPTSD(心的外傷後ストレス障害) に苦しむ。夜になると戦場の光景にうなされたと言う」 「経験者が語る言葉の重みが僕の心に深くのしかかる。氏 は“You have been saved by Article9”と言う。僕は改 めて憲法9条を何度も読み返した。そして、“We protect Article9”とネルソン氏に誓いたいと思った」 使用期限が過ぎた車イスを修理して、東南アジアの国々 に送っている日本の高校生たちがいます。まだ使えるのに 捨ててしまうのはもったいない、必要としている国に送り たい、というのが素直な気持ちでした。そして、高校生た ちがなぜ車イスが必要なのか考えてみたとき、埋められた 無数の地雷の存在に気づいたというのです。

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【コラム16】自分たちにしかできないボランティア

福祉系の学部をもつ大学で、高校生のボランティア活動 や社会貢献活動を表彰する「テンダーハート賞」の制度が ありました。この賞は、毎年、優秀な活動に贈られていた 賞です。 東京都の大森工業高校の取り組みを紹介します。 大森工業高校の生徒の皆さんが考えたのは、自分たちに しかできないボランティア活動というのはないのだろう か、ということです。考えたすえ、「おもちゃの病院」を はじめました。子どものいる家には、こわれて直せないお もちゃがあるはずだということで、その修理をおこなうこ とにしたのです。もし、そのおもちゃがいらないのなら、 ほかでほしがっている人にまわすこと(リサイクル)もで きます。病院ですから、往診(おうしん)もします。目の前で修理をす ることで、子どもに「モノを扱う大切さを知ってほしい」 「機械に関心を持ってほしい」という願いから出発したというのです。 この高校では、専門にメンテナンス(機械などの整備) をする人がいない車イスの修理や、高齢者向けのパソコン 教室もおこないました。「してあげる」という発想ではな く、自分が必要とされているという実感がわいて、生きる 自信になったとのことです。

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