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#70 地域共生とウェルビーイング

誰もがしあわせにくらせる社会をひらく、
次のウェルビーイングをめざして。

日本福祉大学 学長

原田正樹

地域福祉論・福祉教育論を専門分野として、主体形成、コミュニティソーシャルワーク、伴走型支援などをキーワードに研究と実践を重ねてきました。地域共生社会づくりに向けた政策提言や市町村における地域福祉計画策定など、現場・研究・政策をむすぶ取り組みをリードしてきた原田学長に、「ふくし」がひらく地域共生社会と、そして学環を通じた大学の役割について話を聞きました。

社会課題

多様な人が暮らし続けられる地域を。

 日本では、家族構成や地域のあり方が大きく変化しています。総務省「統計ハンドブック2025」によれば、2020年の単独世帯(1人暮らし)は38.1%と過去最大で、世帯あたりの平均人数も1970年の3.41人から2020年には2.21人へと急減しています。また2024年度の非正規雇用率は36.8%と増加しています。核家族化や単身化の進行により、家庭内の支え合い機能は弱まり、地域での見守りやつながりも希薄化しています。さらに雇用環境の変化により社員としての福利厚生も激変しています。こうした「家族・地域・雇用」の縮小といったセーフティネットの脆弱化は、孤立や不安を抱えやすい生活環境を生み、支援を届ける側にとっても新しい課題となっています。

 一方で、日本に暮らす外国にルーツをもつ人は年々増えています。法務省の在留外国人数データでは、2024年末時点で在留外国人は約376万8,977人と過去最多を更新し、前年比10.5%増となりました。人口の約3%に相当し、地域によっては住民の10%を超える市区町村もあります。言語・文化・制度の違いを背景とした「暮らしのしづらさ」も多様化しており、地域コミュニティがどのように受け止め、共に暮らす基盤を整えるかが問われています。

 このように、家族や地域のつながりが弱まる一方で、住民構成はより多様になっています。しかし理念として「誰もが共に生きられるようなまちがよい」と考える一方、自宅の近くに福祉施設の建設には不安がある―いわゆる「総論賛成・各論反対」の状況も少なくありません。理念と暮らしの実感の間にあるギャップをどう埋めるかが、これからの地域共生社会づくりの中心的な課題となっています。

INTERVIEW

一人の利用者との出会いが、「地域を変える」研究の出発点に。

研究者としての出発点は、施設職員時代の経験にあったと伺いました。

原田

研究を強く意識するようになったのは、重度身体障害者療護施設でケアワーカーとして働いていたときの経験がきっかけです。24時間生活する施設で、多くの利用者の方と出会いましたが、その中に川崎昭仁さんという方がいました。小児麻痺による重い障害がありましたが、指先だけが動くのでギターを弾き、音楽をこよなく愛する方でした。

養護学校を卒業して施設に入所していた川崎さんが、「施設を出て、アパートで自立生活をしながら音楽を続けたい」と言い出したとき、最初は「そんなの無理だろう」と思いました。当時の長野県・諏訪地域では、在宅で重度障害のある人を支えるサービスが十分ではなく、「自立生活は都会だからできるのであって、うちみたいな田舎では難しい」と多くの人が考えていたからです。

それでも、彼の「音楽を極めたい」という思いは本気でした。そこで施設のなかで日常生活技術のトレーニングを重ね、「もしかしたら在宅で生活できるかもしれない」というレベルまで、リハビリのプログラムを組んでいきました。自分で電話をかけられる、困ったときにヘルパーさんに連絡できる――そうした力をつけていったのです。

実際に地域に出ようとすると、どんな壁がありましたか。

原田

私が担当になり、彼と一緒に住まい探しを始めましたが、そこからが本当に大変でした。電動車いすで暮らせる1階の部屋、スロープの設置…。条件に合う物件は少ない上に、重度障害のある人に部屋を貸してくれる大家さんはほとんどいません。不動産屋さんを回っても、お茶は出してくれるけれど、心の中では「絶対に貸せない」と思っているのが伝わってくる。

行政に相談に行って、市営住宅や県営住宅の利用を打診しても、頭ごなしに否定される。ケースワーカーからは、「せっかく入所したのに、なんで施設を出るんだ」と言われる。当時はまだ「措置」の時代で、「施設入所が当たり前」という感覚が強く残っていたわけです。

川崎さんと一緒に地域を回るなかで、「自分は障害福祉の専門職として働いているつもりだったけれど、本当に向き合わなければならないのは、本人や家族だけではなく『地域そのもの』なのだ」と痛感しました。地域が差別的で、排除的である限り、どれだけ本人が頑張っても、共に生きることは難しい。

そこで、「地域福祉」という視点が立ち上がってきたのですね。

原田

そうですね。当時、「ノーマライゼーション」という言葉は広がっていましたが、川崎さんと地域を歩く中で、「地域が変わらなければノーマライゼーションは机上の空論だ」と思い知らされました。専門職として本当に取り組むべきは、本人や家族への支援と同時に、地域そのものへのアプローチなのだと。

そのとき、「地域が変わるためには何が必要なのか」を本気で勉強したいと思い、「福祉教育」と「地域福祉」というテーマに出会いました。子どものころから福祉に触れる機会をつくることで、将来の地域福祉を変えていこうとする分野です。そのことをきちんと学ぼうと、日本社会事業大学大学院に進学し、福祉教育と地域福祉の研究を始めました。

「総論賛成・各論反対」を、「我が事」としての福祉教育へ。

日本人の福祉意識を「総論賛成・各論反対」と表現されていますね。

原田

多くの人は、「障害のある人もない人も同じ人間だ」「高齢になっても安心して暮らせる社会がいい」と総論では賛成してくれます。ところが、自分の家の近くに福祉施設ができるとなると、「ちょっと待ってくれ」となる。総論としての合意・建前と、「我が事」としての各論の間にギャップがあるわけです。

このギャップをどう埋めるかが、福祉教育の大きなテーマで、社会福祉の正解を教える場ではありません。「共に生きるって何だろう」「なぜ共に生きられないのだろう」という問いに対して、当事者・子ども・先生・施設職員など、さまざまな人が一緒に考え、学び合いながら、自分なりの思考をつくっていくプロセスだと思っています。

そのために、どのような方法論を大事にされてきましたか。

原田

キーワードは「協同実践」です。「教育」というと先生から子どもへの一方向に教えるというイメージを持たれますが、福祉教育では多様な人たちが共に学び合うということを大切にしてきました。当事者や地域の人たち、学校の先生、施設職員、そして子どもたちが、協同でプログラムを考え、福祉を学ぶ場をつくっていく。そこで大切なのは、「福祉=困っている人を助けること」という図式だけで終わらせず、「福祉=自分の暮らしのしあわせ」だと気づいてもらうことです。

まだ私が埼玉の大学にいたころ、埼玉県社協で福祉教育研究会が設置されました。その委員長をしていたときに、委員会の皆さんと話あっていたときに「福祉」を「ふくし」と表現しようということになりました。「ふだんのくらしのしあわせ」、まさに自分のこととしてふくしをとらえようというメッセージです。

福祉教育の現場で子どもたちに「福祉って何?」と聞くと、多くは「障害者」「高齢者」と答えます。「福祉って、私のこと」と答える子はほとんどいません。それは今時の子どもが、ではなく私たち大人も含めて福祉は他人事ですし、専門の制度や専門職のことを考えます。そこで「ふだんのくらしのしあわせ」という言葉を使ってきました。主人公は自分自身であり、自分が幸せでいるために家族や友人、地域の人がいる、という発想です。このメッセージが全国の地域福祉に広がっています。

福祉教育の実践を広げるための仕組みづくりも進めてこられました。

原田

全国社会福祉協議会と一緒に「福祉教育推進員養成研修」を行っており、その養成プログラムの開発や研修にも長年関わってきました。今では全国の市町村に約1500人の福祉教育推進員がいて、それぞれの地域で福祉教育の実践を支えています。

同時に、「日本福祉教育・ボランティア学習学会」という学会を立ち上げ、実践を理論的に検証し、福祉教育を学問としても位置づけてきました。現場の実践が学会で研究され、その成果が社会福祉法の改正などの政策にも反映されていく。実践(現場)・研究(学会)・政策(制度)の三つをつなぐ「トライアングル」をつくることができれば、地域共生社会に向けた流れを太くしていけると考えています。

現場・政策・研究・教育をむすぶ、「循環」としての学び。

ご自身のキャリアも、現場・政策・研究・教育を行き来してきた歩みだと感じます。

原田

私は施設で働きながら、週末に大学院に通っていました。もともとは勉強をして現場に戻るつもりで、研究者になるつもりはなかったんです。ただ、ちょうど介護保険が始まる時期で、専門学校がたくさんできた一方、教える人材が足りなかった。そこで「専門学校の教員にならないか」と誘われ、現場に残るか、教育・研究の道に進むか、大きく揺れました。

指導教官からは「せっかく福祉教育を研究しているのだから、教育の場に進んだ方がいい」と背中を押されましたが、利用者の方を置いて東京に行くことへの後ろめたさも強くありました。だから、きれいに研究者に「転身」したというより、今でも現場への思いを抱えたまま、教育・研究の道を歩んでいる感覚があります。

その感覚が、「現場・政策・研究・教育をつなぐ」視点につながっているのですね。

原田

そう思います。現場で見えてくる課題を研究で整理し、それを政策や制度にどうつなぐか。そして、その成果を教育に反映して、次の世代の人材を育てる。さらに、その人材が現場で新しい実践を生み、それがまた研究のテーマになり、政策に影響を与えていく。

こうした循環を意識して回していくことが大切だと考えています。福祉教育推進員の養成研修も、福祉教育・ボランティア学習学会の活動も、現場・政策・研究がばらばらに存在するのではなく、互いに補い合いながら地域共生社会を形づくるための仕組みづくりの一部だと位置づけています。

大学教育の場でも、その循環を意識されていますか。

原田

大学では、「地域連携」と「多職種連携」を重視した教育に取り組んでいます。地域連携のわかりやすい例が「サービスラーニング」です。本学では福祉系大学としては日本で一番早く2008年からサービスラーニングを導入してきました。地域のNPOなどに出向き、「地域で生じている課題は何か」を教えてもらいながら、自分たちができることをさせてもらい、地域での貢献活動を通じて学びを深めていく手法です。

知多半島には多くのNPOがあり、学生たちはそこをフィールドとして学びます。最初は「福祉=大きな建物」というイメージしか持っていなかった学生が、小さな一軒家の玄関先から始まる地域づくりの現場に触れることで、「生活者としての視点」から「ふくし」を捉え直していく。その経験が、将来どのような職業に就いても生きてくると考えています。

多職種連携教育についても、本学の場合、医療モデルに偏らず、住民や当事者本人を真ん中に置いた連携を大切にしたい。そのために専門職としての知識・技術を磨きながらも、「隣人」として、「生活者」として相手から学べる態度を育てることが、日本福祉大学らしい連携教育だと思っています。

学環と「ごちゃまぜ」のキャンパスから、地域共生社会の未来をひらく。

こうした研究と教育の実践は、大学づくりにもつながっていますか。

原田

はい。学環も含めて、この30年間自分が大事にしてきたことと、今、大学で取り組んでいることは一貫していると感じています。学長として一番面白いのは、福祉以外の分野の先生方と一緒に、新しいテーマに取り組めることです。

日本の大学は、学部ごとに完結しがちで、ともすれば学部間がバラバラになってしまうところがあります。そのなかで、学環は学部と学部をつなぐ、いわば縁側のような役割を担います。教員同士も、学生同士も、専門をこえて交わり、日本福祉大学にいる意味を共有できる場にしたい。既存の学問体系を問い直し、「ごちゃまぜ」の中から新しい学びや実践を生み出していく場が、学環のイメージです。

ここでいう「ごちゃまぜ」とは、どのような状態を指すのでしょうか。

原田

かつて「ごちゃまぜ」という言葉はネガティブに使われることもありましたが、今の時代に必要なのは、多様な人や価値観が混ざり合うポジティブな「ごちゃまぜ」だと思っています。日本福祉大学はこれまでも、多くの障害のある学生を受け入れて「共修」を大事にしてきましたし、経済的に厳しい学生が学べる夜間課程も大事にしてきました。

これからは、そこに社会人や留学生をはじめとする国籍や文化の多様性も含めて、もっとキャンパスを「ごちゃまぜ」にしていきたい。単に学生数を確保するためではなく、異なる背景をもつ人たちが日常的に出会い、お互いから学び合う場をつくりたいのです。

その根底には、建学の精神「万人の福祉」があるのですね。

原田

日本福祉大学の建学の精神である「如我等無異」は、創設者・鈴木修学先生の思想に根ざしています。先生は宗教家であり、かつ社会事業家として支援してきたハンセン病の方や戦災孤児など、一人ひとりの中に「尊厳」を見出していた。「困っている人を助ける」という発想でなく、「万人が幸せになる社会をつくる」という視点を持っていたのだと思います。

それは現代でいう「ふくし」=「ふだんのくらしのしあわせ」につながります。本学では60周年のときに「ふくしの総合大学」を宣言しましたが、ここでは「ふつうのくらしのしあわせ」と表現しています。さらにこうした思想を、現代的かつ国際的な言葉で言えば「ウェルビーイング」でしょう。手前味噌ですが、日本福祉大学は70年前からウェルビーイングを探求してきたという自負があります。

最後に、学生や次の世代へのメッセージをお願いします。

原田

一言でいえば、「相手から学べる専門職になってほしい」ということです。私は川崎さんから本当に多くを教えられました。同じように、利用者や患者さん、目の前の人からどれだけ学べるか。それがふくしの作法だと思っています。

今、世界では外国人排斥など「反共生」の動きも強まっています。だからこそ、地域共生社会は「いつか実現したらいい理想」ではなく、そうした動きに対して「それはおかしい」と言える人をたくさん育てることが大事です。差別・区別される人の側に立って物事を見られる想像力と教養を身につけてほしい。

学環や地域連携の学びを通じて、自分のくらしのしあわせと、他者のしあわせがつながっていることを実感しながら、地域共生社会の担い手として羽ばたいていってくれることを願っています。

社会福祉法人むそうのチャレンジ

重い障害のある人が、地域で安心して暮らし続けられる仕組みを整えてきた、社会福祉法人むそう。制度の狭間に置かれやすい人を起点に、生活の場づくりや多世代の交流、人材育成などを知多半島で実践し、「誰ひとり排除しない地域」の実現をめざして活動しています。

支え合う人垣を育てながら
共生とウェルビーイングの
地域モデルをつくる。

社会福祉法人むそう

愛知県半田市天王町1丁目40-5

https://musou.or.jp/

最も支援が必要な人から“地域モデル”をつくる。

社会福祉法人むそうの出発点は、「重度障害のある人が地域で当たり前に暮らすための仕組みをつくりたい」という強い願いでした。創設者であり現代表者の戸枝陽基氏は、施設職員として働くなかで、家族が介護できなくなると入所施設に移り、暮らしの選択肢が一気に狭まってしまう現実を見続けてきました。どれだけ日中の生活を整えても、入所すると意思決定の自由が制限されることがある――その矛盾を前に、「地域で生きる仕組みそのものを変える必要がある」と考えるようになりました。

こうした考えのもと、同法人は知多半島を活動の拠点に据えました。都市部から過疎地域まで多様な暮らしの課題が一つの半島に凝縮されており、地域福祉の“モデルづくり”に取り組むフィールドとして適していると考えたからです。

創設期には拠点となる家を借りるだけで反対運動が起こり、地域との対話を一軒ずつ積み重ねながら理解を広げていきました。共生体験のある世代は受け入れやすい一方、接点のない世代ほど不安を抱えやすいことも、この過程で浮き彫りになりました。

このような経験を経て、同法人が大切にしてきた理念が「誰も取りこぼさない」ことです。障害が重い人、多重のハンディがある人こそ支援が必要であり、そこから仕組みを組み立てることで、地域全体が支え合える形に変わっていく――むそうの挑戦はその実践の連続です。

0歳から看取りまで伴走する「人垣」を育てるために。

同法人の特徴は、「育む・働く・住む・経験する」といった人生の営みを、生まれてから看取りまで切れ目なく支える点にあります。障害のある子が生まれた瞬間から家庭に寄り添い、成長に応じて役割や就労の機会をつくり、暮らしの場であるグループホームへとつなぐ。こうした取り組みは、幼少期から成人期、さらには高齢期まで続く“長い伴走”を前提としたものであり、その支え手となる人材を世代を超えて育てていくことこそ、同法人がめざす地域づくりの根幹です。

ウェルビーイングの考え方も明確です。「本人の努力だけでは届かない幸せを、環境でつくる」こと。たとえば座位保持が難しい幼い子に椅子を届けると姿勢が安定し、遊びやコミュニケーションの可能性が広がります。環境整備がその人の力を引き出すという視点に立ち、制度の枠組みを踏まえながらも、必要に応じて支援の幅を最大限に広げていく姿勢を貫いています。

近年とくに力を入れているのが、若者層へのアプローチとしての「高校生からの人材育成」です。ヘルパー資格の取得を通じて福祉の原点に触れ、自信を取り戻し、進学や就職につながる若者が増えています。これは人材不足の解消だけでなく、福祉を身近なテーマとして捉えられる次世代を地域で育む新たな試みでもあり、長期的な人材育成の取り組みを支える重要な基盤となっています。

同法人は、個々の支援にとどまらず、地域全体がウェルビーイングを実感できる環境へと変わっていく好循環を、これからも育てていきたいと考えています。制度の枠にとらわれず、必要な人に必要な支えを届ける姿勢を大切にしながら、地域共生社会の実現に向けて歩みを進めています。

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