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日本福祉大学チャレンジファイル学環編 第二部

子どもを真ん中にした地域包括ケア
─支援から共生へ、地域が育ちを包み込むしくみを考える

社会福祉学部 社会福祉学科
福祉社会開発研究科 社会福祉学専攻
社会福祉学研究科 社会福祉学専攻

野尻 紀恵 教授

野尻紀恵教授の研究分野は、スクールソーシャルワーク、教育福祉、 福祉教育・ボランティア学習。 長く高等学校の教諭、そして教育委員会のスクールソーシャルワーカーとして勤務した経験をベースに、ヤングケアラーの問題について実践・研究を続けています。

テーマ

子どもは“守られる存在”ではなく、
地域を結び直す起点である

「子どもを支える社会」という言葉は、長く善意と理想を象徴する言葉として語られてきました。しかし、その“支える”という表現の奥に、「守る側」と「守られる側」に分けてしまう視線は潜んでいなかったでしょうか。
制度は広がり、支援の仕組みは厚くなっています。にもかかわらず、子どもを取り巻く苦しさは深まり、支援に携わる人さえ疲弊していく現実があります。

「制度が整うほど、子どもとの距離が遠くなる気がする」
──現場から聞こえる声は切実です。
子どもを「助ける対象」としてのみ捉える枠組みそのものが、子どもと地域との間に見えない境界線を引いてしまっているのではないか。
子どもを地域の中心に据え、“共に生きる社会”へと価値観を転換できるか。これは、福祉・教育・地域づくりが交わる地点で、いま私たちに突きつけられている問いです。

子どもを取り巻く状況は、家庭や学校だけの問題ではなく、地域社会全体のあり方を映し出しています。制度や支援の枠組みが整っても、現場の苦しさが消えないとき、私たちは「何を支えているのか」「誰と生きようとしているのか」を問い直す必要があります。
野尻教授の語りは、子どもを中心に据えることで、大人や地域の関係性そのものを見直そうとする視点を提示しています。第二部では、その思想と実践について伺いました。

INTERVIEW

「子ども時代を保障する社会」とは

「子ども時代を保障する社会」という言葉の意味から教えてください。

野尻

子ども時代というのは、“失敗できる時間”だと思うんです。失敗しながら学び、やり直す。けれど今の社会は、子どもにも効率や成果を求めすぎてしまう。早く結果を出すことが善とされ、失敗を許す余白が失われています。
子どもに“がんばれ”と言う前に、“待つ”ことのできる社会でありたい。成長には時間がかかり、そのペースは一人ひとり違う。その違いを受け入れられることこそ、「子ども時代を保障する」ということなんです。

“待つ”には、どんな意味が込められているのでしょう。

野尻

“待つ”というのは、ただ何もしないことではありません。見守りながら信じ続けるという行為です。迷ったとき、立ち止まったときでも「あなたはここにいていい」と伝え続けること。それが“待つ”ということなんです。
そして、子どもを急かす社会は、大人も追い詰めてしまう。だから、子どもが育つ社会は、大人も支えられる社会でなければならない。子どもを育てるとは、大人が支えられる環境を整えることでもある。その循環があってこそ、子どもの成長を本当に「保障」できるのだと思います。

子どもの時間を守ることが、大人の時間を守ることにもつながるのですね。

野尻

そう思います。子どもだけを対象に「保障しよう」とするのではなく、子どもと関わる大人もまた“支えられる存在”として位置づけ直すこと。子ども時代の保障とは、実は社会全体のリズムや価値観を問い直すことなんです。

地域が子どもを包み込む

「地域が子どもを包み込む」という表現が印象的です。“支援する”とは違う感覚なのでしょうか。

野尻

そうですね。“支援する”という言葉には上下関係が含まれます。でも「包み込む」というのは、同じ地面に立って共に生きるという感覚なんです。誰かが特別にがんばるのではなく、地域全体の関係性がゆるやかに支え合う状態。それこそが本来の地域包括ケアです。
制度や専門職だけでは届かない、“関係の網”を編み直すこと。それがいま必要とされているのだと思います。

“関係の網”とは、どんなイメージですか。

野尻

学校、医療、福祉、地域活動──それぞれが役割を果たしているのに、横のつながりが弱い。網の目が切れている状態です。その切れ目をつなぐのは制度ではなく、人の関係なんです。「この子を誰が支えるか」ではなく、「みんなでこの子の周りにいる」という感覚を取り戻すこと。
子どもを真ん中に置くというのは、誰かを中心に“集める”ことではなく、みんなが“近くにいる”ことなんですね。

地域のつながりを“再構築”というより、“再認識”する感覚に近いですね。

野尻

まさにそうです。新しく何かをつくるのではなく、もともとあった関係を思い出すこと。あいさつを交わす、子どもの名前を覚える──そんな小さな行為の積み重ねが、子どもを包み込む文化をつくっていく。地域包括ケアとは、仕組みづくりではなく、「関係の文化」を育てることなんです。

その文化が根づいたとき、地域はようやく“支援の現場”ではなく“暮らしの場”として息づくのですね。

野尻

ええ。支援が必要な場である前に、「一緒にいられる場」であること。そこからすべてが始まるのだと思います。

子どもを真ん中に据える社会の可能性

「子どもを真ん中に置く社会」とは、どんな社会を指すのでしょうか。

野尻

“子どもを真ん中に置く”というのは、子どもを特別視することではありません。子どもを通して社会全体を見直すということです。子どもの姿には、社会の現実が透けて見える。
子どもが安心して声を出せない社会は、大人も息苦しい社会なんです。だから、子どもの声を聞くというのは、社会の呼吸を取り戻すことなんです。

守る対象ではなく、社会をつなぐ媒介としての子ども。

野尻

そうです。子どもを“守る対象”とする時代は終わりつつあります。これからは、子どもを媒介にして世代や立場を超えてつながる社会をどう実現するかが問われています。学校・地域・家庭・福祉・行政──それぞれの領域が“分担”ではなく“共働”すること。
その中心に子どもがいることで、社会全体がしなやかに結び直されていくと思います。

子どもが社会をつなぐ“ハブ”になるということですね。

野尻

ええ。子どもは未来の象徴ではなく、今を生きる社会の一員です。子どもを真ん中に置くというのは、大人もまた学び育つ存在であることを認めること。その循環があって初めて、共生社会は現実のものになるのだと思います。

まとめ

野尻教授の言葉は、子どもを守るために大人が何をすべきか、という問いにとどまりません。子どもと共に生きるとは、大人自身もまた関係の中で支えられ、育ち直していく存在であることを認めること。
支援と被支援という枠を越え、弱さや揺らぎを共有できる関係をどう育てるか──その問いは、地域包括ケアの本質を静かに照らし出します。
「子どもを真ん中に置く社会」とは、子どもを守る対象とする社会ではなく、子どもと共に生きる関係を社会の基盤に据えるという思想です。
“待つ”という時間の共有、“包み込む”という関係の再認識、“真ん中に据える”という共生の構想。
この三つが重なったとき、地域は「支援の仕組み」から「育ち合う文化」へと変わり始めるのではないでしょうか。

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