#56 里親家庭を日本全国へ
里親制度を切り口に
子どもと地域社会に
ポジティブな変化をつくっていく。
NPO法人キーアセット代表
(1994年3月 日本福祉大学社会福祉学部社会福祉学科卒業)
渡邊 守
渡邊守さんは日本福祉大学卒業後、一般企業での勤務を経て、オーストラリア・メルボルンへ留学。大学院でソーシャルワーク修士号を取得し、帰国後、里親支援に取り組むNPO法人キーアセットを設立しました。代表を務める渡邊さんに、里親支援のあり方について話を聞きました。
社会課題
「子どもの権利」に対する日本での認識の遅れ。
世界中すべての子どもたちがもつ人権(権利)を定めた「子どもの権利条約」は1989年、国連総会で採択されました。長い間、子どもは「弱くて大人から守られる存在」と考えられてきましたが、子どもも「ひとりの人間として人権(権利)をもっている」、つまり、「権利の主体」だという考え方に大きく転換させた条約です。子どもが大人と同じように、ひとりの人間としてもつ様々な権利を認めるとともに、成長の過程にあって保護や配慮が必要な権利も定めています。この条約が多くの国で批准され、世界中で、多くの子どもたちの状況の改善につながってきました。日本はその動きから立ち遅れ、「子どもの権利条約」を批准したのは1994年。これは批准した国196カ国の中で158番目になります。
さらに日本の「児童福祉法」で、「子どもの権利条約」を基本理念として明記されたのはそれから22年後、2016年のことでした。もともと児童福祉法は第二次世界大戦後間もない1947年に制定され、何回か改正されてきましたが、2016年になってようやく、子どもが“権利の主体”として位置づけられました。このように、日本では子どもの権利に対する認識が遅れており、子どもの権利をめぐるさまざまな課題の対策が急がれています。
※参考:ユニセフ「子どもの権利条約」ほか
INTERVIEW
日本の里親制度に不足しているもの。
最初に、渡邊さんが里親制度に関わることになった経緯について教えてください。
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渡邊
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日本福祉大学を卒業後、私は一般企業に就職し、大学時代にやっていたアメリカンフットボールを続けたくて、アメリカンフットボールの実業団のある会社が採用してくれました。その後、車いすや介護用品の営業職に転職しましたが、31歳のとき、当時介護職として働いていた妻の「海外でアルツハイマー専門のケアを学びたい」という夢に引っ張られるようにして、二人でオーストラリアに渡りました。そこで英語を猛勉強して、モナッシュ大学大学院に進学し、ソーシャルワークを専攻しました。モナッシュ大学のソーシャルワークはオーストラリアでも子ども家庭分野で質の高い教育を提供している大学です。そこを選んだのは、日本は国際的に高齢福祉や障害福祉よりも子ども家庭分野が遅れていると考えたからです。修士号を取得し、大きな志を持って帰国しましたが、児童福祉に関わるフルタイムの仕事はなかなか見つからず、児童福祉関連機関の嘱託職員やアルバイトで生計を立てていました。ちょうどその頃、以前から里親をしていた母親が、預かっていた子の養育に悩み苦しみ、彼女自身も病気を発症してしまいました。そこで、私が母に代わって、里親になることを決意したのが、里親制度との関わりの最初です。
実際に里親になって、どのように感じられましたか。
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渡邊
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里親としてなんとか最初の子どもを送り出した後、今度は高校2年の別の子どもを受け入れることになりましたが、全く思い通りにいかず苦しみましたね。里親としての未熟さを痛感し、相談できる人がいない孤独さも感じて、日本の里親制度には里親を支援する仕組みが欠けていると痛感しました。こうした経験を経て、2010年、NPO法人キーアセットを設立しました。
民間として里親支援に乗り出す。
当時は、里親支援に民間が関わるのは珍しいことだったのではないでしょうか。
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渡邊
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そうなんです。その頃、里親支援は児童相談所だけが担う業務で、民間でそれを担おうという働きは一部を除いてほとんどなかったです。里親制度の質と量の問題は、児童相談所の責任かのように考えられていたように思います。民間、つまり地域社会の責務とは考えられていなかったかもしれません。多忙を極める児童相談所を責めても、変化をつくることはできません。そこで、英国の里親支援を実践する団体からの協力を得て、里親のリクルートやトレーニング、委託後の支援等を少しでも任せていただけるよう今の法人を立ち上げ、当時の厚生労働省やいくつかの自治体にお願いにまわりました。それが今日の包括的な里親支援や里親支援センターに繋がっていると思います。
ゼロからイチをつくるわけですから、大変なご苦労があったと思います。
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渡邊
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そうですね。全くなかった事業を始めるわけですから、それはいろいろと大変でしたし、今も道半ばだと感じています。まだ完成したビジネスのロールモデルは一つもありません。ただ、同じビジョンに共感してくれる職員や仲間がいて、常に前進と変化を続けていられるということが大きな収穫だと思います。また、近年の成果でいえば、国が民間の包括的里親事業を認めてくれて里親支援センターを創設したことも、里親支援が認識されてきたものと考えています。
地域で子どもを育てる経験を積み重ねていく。
里親支援の課題はどんなところにあるとお考えですか。
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渡邊
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いろいろありますが、一つは里親に対する地域の理解がまだまだ低いと感じています。里親家庭に委託される子どもや若者の住民票の移動手続きや医療費の負担について、役所や医療機関の理解が浸透していないといった問題もあります。また、途中から子どもを育てるという里親の家庭は、多くの人がイメージする家庭像の枠のはるか外側にあります。たとえば、子どもがバスの中で大暴れしているのに、親がそばでオロオロしている。そういうシーンを見かけたら、多くの人たちは「しつけができていない」という目で見ると思います。でもそれはもしかして、子どもを預かってまもない里親かもしれないのです。ですから、そういう光景を見かけたら、「この人は里親かもしれない。里親だとしたら、たたくこともできないよね。私たちの代わりに子どもを育ててくれて、頑張っているよね」という目で見守ってほしいのです。
なるほど。現状ではそこまで思いめぐらす人は少ないかもしれません。
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渡邊
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それは、子どもを健やかに育むことができていない実親に対しても同様です。たとえば、養育を放棄してしまう母親を、世の中の人は「ダメな親、ふざけている親、努力が足りない親」だと見ますよね。でも、母親のなかには、10代で望まない妊娠・出産をしてシングルで育てているお母さんもいます。そういう人に「子どもを産んだのだから責任を取れ」というのはちょっと違うんじゃないかと。昔のご近所なら、「お母さんがいないなら、うちで遊んでいきなさい」という地域のおじちゃんおばちゃんがいたかもしれませんが、今はいません。そこで、一人で困っているお母さんを支えるために、里親家庭を活用した「ショートステイ事業」という子育て支援サービスも始まっています。これは、里親家庭で一時的に子どもを預かってもらうサービスで、いわば古き良き時代の近所のおじちゃんおばちゃんの役割を公的に賄っていこうというものです。

地域で子どもや親、そして里親を支援していく方向に向かっているのですね。
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渡邊
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はい。理想は、困っているお母さんがうしろめたさを感じることなく、気持ちよく子育て支援サービスを支えるような豊かな地域社会になってほしいですね。そうした環境を整えないと、一番不利益を被るのは子どもです。育児に困難を抱える実親や里親さんが子育てしにくいと感じる地域には、多様性を認める土壌がないのだと思います。子育てに対する理解、寛容さを育んでいくことが必要ですし、子どもの未来のために努力すること、投資することは次の世代が豊かになることだと思います。
里親支援の文化を次の代へ引き継いでいく。
これからの事業の目標についてお聞かせください。
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渡邊
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ここまでお話ししたように、里親さんが子育てしやすいような地域社会をつくっていくことが私たちの当面の目標です。そのためには里親さんのニーズを聞き取って、変化をつくっていく。「子どもと地域社会にポジティブな変化をつくっていく」というのが法人の変わらない理念です。里親さんに対する地域の人々の温かい目線が増えれば、「ああ、里親になってよかったな」という人も増えると思います。そのように里親の満足度を高めていくことで、愛情持って育んでくださる里親さんを増やし、子どもたちの健やかな成長を支えていくことをめざしています。
その実現はもう目の見えるところまで来ているのでしょうか。
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渡邊
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まだまだ道半ばですし、私が代表を務める間に実現するとは思いっていません。里親さんも行政の人もみんな一生懸命やっているのですがなかなか結果が伴わない。それは何かが欠けているのであって、そのピースの一つになって埋めていくのが私たちの役割だと思っています。でも、ピースを埋めようとしているけれど、埋めきれないのでやっぱり器から水漏れしています。でも、漏れる量は少しずつ減っていますし、多分、私の次の代表、その次の代表になったとき、全部のピースを埋められたらいいと思います。ここまで築いてきた里親支援の文化を次の代へと引き継いでいきたいと思います。
NPO法人キーアセットのチャレンジ
さまざまな事情により、家族と離れて暮らしている子どもたちは全国に約4万2000人。そのような子どもたちが里親家庭で健やかに育つように、NPO法人キーアセットは包括的な里親支援事業を展開しています。
親元で暮らせない子どもたちが
里親家庭で健やかに育つように支える。
NPO法人キーアセット
大阪事務所 大阪府東大阪市永和2-2-29 永和ビル1号館3階

子どもを真ん中に据えて
里親をサポートする取り組み。
NPO法人キーアセットの設立は、2010年12月。東大阪市に事務所を構え、親元で暮らせない子どもたちを地域社会で育てていくための里親支援に乗り出しました。しかし当初は、民間の事業所が里親支援を行う前例がなく、厚生労働省や関係機関に何度も足を運び、里親支援の必要性を訴えて回りました。そうした地道なアプローチが認められ、やがて自治体から事業を受託できるようになり、里親支援の取り組みが動き出しました。現在、同法人は大阪、東京、川崎市、福岡、千葉、兵庫の6カ所に事業所を置いて、それぞれの地域の実情に合わせた活動を展開(2025年6月現在)。毎年、複数の自治体などからの委託を受け、里親の新規リクルートから委託後まで包括的養育支援(フォスタリング業務)の活動を行っています。また、里親制度の普及や里親養育の質の向上を目的としたイベントや講演会などにも力を注いでいます。
同法人のビジョンは、子どもと地域社会にポジティブな変化をつくっていくこと。もっとも望ましいのは子どもの健やかな育ちが保障され、子どもが親元から保護される状況が少なくなることです。そのプロセスのなかで、一時的に地域で子どもを育む一つの形として里親制度が必要だという考えに基づき、里親制度の質と量の向上に取り組んでいます。
「4つの取り組み」で
里親家庭を包括的に支援する。
同法人では4つの取り組みを中心に活動を行っています。1つは、「リクルートとアセスメント」。まず里親制度に興味のある人を募り、続いて、透明性の高いアセスメント(里親になるための適性や能力を評価するプロセス)を実施します。2つめは、「理解を深めるトレーニング(ワークショップ)」。キーアセット独自のテキストを基にワークショップを行い、里親希望者の養育に対する考え方を知ると同時に、養育者として期待することを伝え、相互理解を深めていきます。3つめは、「強みに基づいた関係構築」。里親家庭が子どもの強みに基づいて養育できるように支え、子どもが苦手とするところは一緒に考え、解決へと導きます。4つめは、「登録後のサポート」。子どもの強みに基づいた関係性をさらに深めていくために、家庭訪問などのサポートに力を入れています。
このほか、里親制度に対する地域社会の理解を広げていくことも同法人の大きな目標の一つです。里親家庭が地域で子育てしやすい環境づくりをめざし、同法人はこれからも一つずつ目の前の課題を解決し、進んでいこうとしています。
- 社会福祉学部 社会福祉学科
- くらし・安全