測色値と色感覚

 日常生活の中でおよそ単独で存在する色は稀であり, 常に何かの形や色を背景にして, 或いは何かの形や色と隣り合って存在している. あらゆる色が対比のもとに知覚されている. 物理的測色は単独の色を対象としていることから測色値が日常の色体験を正確に予測できない理由の一端がここにある.

対比と同化

対比は二つの色の違いを強調する効果について言われるが, 反対に違いを弱め互いに近づこうとする傾向を示すこともあり, これを同化と呼んで対比と区別することも多い. 黒い輪郭線で囲まれた領域がより黒く, 白い輪郭線で囲まれた領域はより白く感じられる現象は同化の一例であり, フォン ベゾルドの拡散効果と呼ばれることがある.
 灰色の上に黒い線を引き縞模様の図形を見ると, 黒い線の幅によって同じ灰色が違って見える. 細い線の間の灰色は太い線の間の灰色よりも暗く見える. 線の幅を狭から広へ系統的に変化させると灰色の明るさは暗から明に連続的に変化する. 灰色は線の幅によって, 線の色と同化から対比へと連続してその明るさが変化する. 対立した現象であるが連続した現象と言えることから, 同化を負の対比と呼び対比 現象の一種と考えることもできよう.
 対比現象を色の理解の基礎においたと思われる人にシェヴェルがある. 布や織物で色を背景にデザインされた黒模様がしばしば問題を引き起こした. 例えば, 赤の布地の上の黒模様に緑味が感じられるなど背景色の補色が黒に混入して見える色対比の問題である. 少し長く眺めていると背景の色が黒の中に拡散してくる. 赤の背景の上におかれた黒模様に赤みが感じられる同化現象が見られる.

黒の恒常性

 対比や同化の現象は我々の知覚が, 明暗にしろ大小にしろ, 絶対的な物理量に基づくのではなく, それらの相対関係の変化情報に基づく判断であることを示す. 雪原の黒い岩は, 昼も夜も黒く見える. 昼, 太陽の下での岩からの反射光は, 夜, 月光の下で白く見える雪からの反射よりも物理的には強いが, 岩はあくまで黒く雪より白く見えることはない. 明暗の感覚が光の強さだけに依存しているのではなく, 岩は雪からの光との比較関係の中でより弱い光を反射しているが故に黒と知覚されている. 雪は白く, 岩は黒っぽいと言う知識を判断の前提として此の知覚が成り立っていることが重要な点である. 経験による知識を枠組みとし, その中での相対的関係の恒常性が我々の安定した知覚世界を成立させているのである.

黒の判断

 知覚が理解の仕方, 文脈の取り方によって決まることを示す現象の一つに, ゲルプ効果がある. 完全暗室の中につるされた黒円盤のみを隠し光源で照射する. 照射光の強さに比例して表面反射率数%の黒円盤は白あるいは灰色に見える. この時極小さい白い紙を円盤を照射している光路に挿入, あるいは光路に煙を漂わせると直ちに円盤の色は反転し黒或いは黒い灰色となる. ゲルプ効果と呼ばれる此の劇的な知覚の反転効果は, 小さな白い紙やわずかな煙と円盤の黒との対比効果だけでは説明できない.

他の原因として考えられることに, 照明されていることが分かった, 円盤が輝いて見える光源色モードから紙という物体色モードへ見え方が変化した, 視野の構造が代わった, などが挙げられる. 何れも白い紙や煙が手がかりとなり状況の捉え方が一変し, 状況の新しい理解, 新しい文脈の取り方が生じたことによると説明される. 同じ物理的性質を持っていても, 黒が白に, 逆に白が黒に見えたりする場合があるのである.

黒の意味

 黒が持つイメージを黒の使われ方から見てみよう.
黒は闇を表す. 闇はすべてを隠すことから, 黒は未知の可能性を秘め奥深い神秘性を持つ. 不気味さは黒い魔女や魔法を連想させる. 闇の中には何が潜んでいるか分からず, 黒は不安や恐怖と結びつくが, 闇は又身を隠す安全な場所であり, 黒は安心へと結びつく色でもある. 黒は喪の色であり死の他に, 汚れ, 罪悪を示すが又生きる力, 力強さ, 怒り, 暴力, 自信, 混沌を表し, 男性を連想させる. 夜を告げ, セックスを暗示する. 北の方角, 暗く深い冬を思わせるが, 雪の白を引き立たせる. 黒は色彩を抑え目立つ白や豪華な黄金色を相反する他の極として緊張感や洗練性を生み出し, 品位, 安定感, 重厚感, 几帳面, 威厳を与える. 古典的で完成した色であり, 成熟した色である. 静かさ, 絶望, 希望, 喜び, ロマンスを象徴しドラマを演出する. 仏教思想では黒色は何ものにも染まらぬ不動の色, 深慮知謀の色となる.

黒の美

 我々の親しんできた黒に墨色がある. 墨の色は黒いけれど一色ではない. 紙により墨は墨のり, 墨つき, にじみ, かすれなど微妙な濃淡の中に墨色の美しさがあり, いわゆる五彩を感じる色である. 色彩を離れ, 否定した水墨画は黒い線と明暗の調子で 「墨を運らして五色具はる」 の老荘思想に根ざして精神の内面的世界の本質を白い紙の上に描き出す. 色彩を排した水墨画における黒は此の故にこそ万物の根源にせまる最も簡単でありながら最も複雑な色であると言えよう.
漆に墨を混ぜた漆黒は艶のある美しい黒の代表である.
黒に金色を配し闇の美を魅力的に描くレンブラントの西洋画においても色としての黒の力を感じる.
黒は又日本人の美意識である 「わび」, 「粋」 と強く結びついた色である. 「わび」 は豪華と枯淡の並立, 「粋」 は誘惑と拒否の両極の間に生まれる生への緊張感と諦観をその特質とするが, いずれも黒の存在が重要である.
 黒は他の色を生かす色であるが, 自らも相手の色次第で派手にもなれば地味にもなる不思議な色である.
 素朴で力強い造形を引き立てる色でもある.
 黒ほど美醜の差の開く色はない.

※この研究は株式会社凸版印刷から委託研究費補助を受け行われている.

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