研究報告

私のフランス滞在記 原田 妙子
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私のフランス滞在記
  ―万事,のんびりのフランス研究事情,異文化の違いを体験―

原田 妙子 (情報社会システム研究所客員研究所員)

本研究所の原田妙子客員研究所員は, 2004 年 11 月〜2006 年 3 月の間 2 度に渡り, 財団法人長寿科学振興財団の研究助成を受けて渡仏し, 研究活動をすすめてこられました. 今年の春, 帰国された原田研究所員から, フランスでの滞在の印象を綴っていただきました.

私は 2004 年 11 月よりフランス共和国に行き, 研究機関や大学で研究をしました. この経験では,日本にいるだけでは, なかなか気づかない生活, 考え方や文化の違いを体験しました. 今回は, 私個人の生活を通して, 研究の状況やパリ市に住むフランスの人々の暮らしを中心に, 紹介してみたいと思います.

【フランス留学のきっかけ,“変なおじさん”との出会い】
  話は少しさかのぼりますが, 私がフランスに行くきっかけとなったのは, 2002 年の 11 月に富山薬科大学主催で行なわれた国際シンポジウム International Symposium on Limbic and Association Cortical Systems (Basic, Clinical and Computational Aspects) に参加したことから始まります. このシンポジウムでは, 各国の有名な研究者が講演をすることとなっていて, 私の指導教官 (久保田競先生) もお話をされることに なっていました. 先生からのお誘いもあり, また研究の実験結果も得られていたので, ポスター発表を行うためシンポジウムへ参加することとしました. 当日, 私がポスター発表をしていると, 見知らぬ外国人のおじさんがやってきて, 私にいくつか質問をされました. その後, 私が持っていたシンポの 抄録をとって, 講師プロフィールのある先生の名前にボールペンで丸をつけ, 「これは私です, 私の研究室はいろいろな研究をしているから, 今度パリにいらっしゃい」 と言われました.
 その少し後, その場に来られた久保田先生に, 「先生, 変なおじさんが来て, パリに見学にきたらいいと 言われちゃいました」 等と, 冗談まじりに丸が付けられた抄録を見せた途端, 先生はびっくりされました. この“おじさん“というのが, コレッジュ・ド・フランスの認知・行動生理学 研究室のディレクターである Berthoz博士だったのです. このことが縁で, その数ヶ月後パリにある Berthoz 博士の研究室で発表をすることになり, 5 日間フランスを訪れることになりました. そして, この約 2 年後, 学位取得後に第 1 回目の留学をすることになったのです.

【二度目の出会い】
 フランスで最初の留学が終わろうという時に, 私の研究のきっかけとも言うべき 1999 年の論文の著者である Koechlin 博士とお会いすることができました. いろいろお話をしていると, 一緒に仕事を出来ないかと考え始め, 私たちが行なってきた研究について 話してみたところ, 興味を持たれて研究を一緒にしていくということになりました. こうして, 二度目の出会いがあり, パリでの生活が少し長引く事となりました.


 

 

【研究事情―全てに時間がかかるフランス】
  渡仏前, コレッジュ・ド・フランスの Berthoz 先生の研究室に, 以前留学をされていた 日本人のある先生から, 「とにかくフランスという国は, 仕事がなかなか進まないですから大変ですよ」 という忠告を頂いていたことがありましたが, 私が訪れた どちらの研究室でも, 全くその先生の言われた通りの結果でした. ほとんど例外なく全ての事柄に時間がかかるのです. 私の仕事においては, 解析に使用するコンピューター が動かなくなること等が頻繁にあり, 私は, 「データを早く解析したいので, どうにかならないですか?」 と相談しても, 「コンピューターの 管理をしている人に連絡を取ってみたら」 という先生からの助言. どの人が, 管理をしているのかの情報は全くなく, いろいろな人に聞いて, 管理者が誰なのかをどうにか確認出来るのです. しかし, その人が何時に研究室に来るかについては誰も把握しておらず, ようやくその人のメールアドレスを入手して連絡すると, 一週間後に研究室に来るという始末. 研究室ではこのようなことばかりと言っても過言ではないのです. したがって, 数週間で出来るはずの仕事は, 数ヶ月かかります. また, 夏休みのヴァケーションと, クリスマス休暇は, 学生であろうと職員であろうと, きっちり取るため, またもや, その一ヶ月位は研究室にはひとっこ一人いなくなります. このような時に, なぜか問題がよく発生するのです. このため, 仕事は中断ばかり強いられ, 研究室の事情が初め解らなかった私にとっては, 待つしか手がなく, 最終的には諦めの境地に至りました. もし出来たら, ラッキーと喜ぶくらいの考えを持たねば, この国ではやっていけないということのようです. ちなみに, このようなことに対して, フランス人は全く動じません, 動かないから仕方ないじゃないかと・何とかしなげれば!ではないのです. ……治るまでいつまででも待ちます.

Koechlin 博士
Koechlin 博士

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Copyright(C):2006, The Research Institute of System Sciences, Nihon Fukushi University