Viewpoint

電車に乗って効率性ということについて考えた.通勤は自動車と比べて電車のほうが1時間ほど余計にかかる.通勤時間を全くムダな時間だと考えれば,自動車で通勤するほうが効率が良い.本当にそうなのだろうか?
 大学時代,私は時間を持て余していた.何の用事があるわけでもなく図書館に行ったり,何とか楽しくならないかと妙なことを企画した.膨大な時間をかけた割には新たな発見というものは少ししかなかったように思う.しかし,そんなムダと思われる時間の中で新たな発見をしたり,夜を徹して友人と語り合うことで考えがまとまりアイデンティティが確立できたように思う.
 情報技術の進歩によりいろいろなことが便利になった.ケータイ(電話以外の機能を備えた携帯電話.ここでは敢えて「ケータイ」と呼ぶ.)は便利ということを通り越し,これまでの生活を一変させた.ちょっとした空き時間に連絡を取り,電車の予約や銀行振込み,調べ物ができることは,時間の有効活用であり,24時間という制限の中で満足度を最大化する行動である.退屈という言葉が死後になりつつあるとすら思う.
 が,一生という長いタームで考えると,これらの行動は満足度を下げてしまっていると思われてならない.限られた人とのみのコミュニケーションや興味のあることにのみ時間を費やすことは,その人の世界の広がりを阻害してしまう.特に,自問自答しながら成長し,色々な人間関係を築いていくべき大切な時期に,自分の行動や考え方に思いを巡らしたり,友人と意見をぶつけ合う時間を取らないまま大人になってしまうことは,その後の人生の満足度を下げてしまうように思う.ケータイだけでなく,忙しい親や友達に代わって遊んでくれるゲーム機,インターネットに接続することで楽しみの尽きることのないパソコンなどの最近の情報機器も同様のことが言える.
 電車に乗って外の景色を眺め,乗客を観察し,考えを巡らせる時間が,その後の仕事やプライベートな時間を効率的に活用するための糧になるということをあらためて認識した.(O)

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