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○中村 
 それまでは来ていただいてフィッティングをかけると。

○飯島
 そうですね。そういう業務が多かったんですね。研究開発の方もどちらかというと、シーズですよね。考えながらいろんなテーマを決めながら、やりたいことをある意味ではやっていけるような面がありましたけれども、ここの場合には在宅リハの現場から、「こういう状態のこういう人がこんなふうに困っているんだけどどうだろうね」ということで、結局その現場に入りますと、利用者側の状況をよく考慮して,そのニーズに合わせていかなければならないんです.こちらがこう考えていても、「いや、そうじゃないんだよ」というところですよね。
 わかりやすい例が、非常にお金がかかっていて、いろんなコンピューターがついていて、ひも付きのものを、それじゃ在宅に持ち込んで使えるかというと、使えるレベルじゃないですよね。そういう研究ももちろん重要なわけですけれども。ところが、結局、裏の木を切ってきて、それにグリップをつけて、何か長い棒でやった方が利用者にとってはいいみたいなところ、非常に現場に役立つものという視点を私たちは教えられたと思うんですね。
 徐々に臨床現場に役立つものをどう開発していくかという考え方がそこにきっちりと生まれてきて、図示すると、要は研究という部分と、それから臨床という部分が重なり合ってくる部分、ここがいわゆる横浜流の研究開発になってきたと思うんです。リハビリテーション工学という部分がここに重要な位置があるんだろうということで、ここのキャッチボールが非常に重要だという考え方になってきました。企画研究室という部分と、そして臨床にどう研究開発したものを有効に使えるようにしていくかという考え方ですね。ですから、割合が大分そこから変わってきています。
 新しい事業として工学技術を臨床に役立てる臨床工学サービス事業というのが立ち上げられました.ですから、研究開発事業というのももちろんそこにあるわけですけれども、臨床寄りの事業も展開され,臨床側で何々さんに対していろんなサービスを実施していく中で、そこに今度はテーマが持ち上がってくるわけですね。そうすると、それを研究テーマという形で群をとらえて実際に進めていく。その研究の中から生まれてきたものを今度は臨床に、実際にフィールドで確認しながら、それをまたさらにフィードバックをかけて製品化に持っていく、そういう非常にふさわしいキャッチボールができ上がってきたと思います.

 

 

○中村
 ところで48年に神奈川のリハセンができてきたころのリハビリテーション工学の状況というのはどういった感じだったのでしょうか。

○飯島
 そのころは、リハビリテーション工学というと、まだ我が国においては恐らく歴史としては10年ぐらいだったと思います。東京都に補装具研究所というのがあって、そこで義肢装具の研究開発がされていたのと、早稲田と共同で、ワイムハンドというサリドマイド児の電動の義手が開発されていた時代です。ですから、ほとんど知られていなかったんじゃないでしょうか。
 欧米諸国では、その当時、歴史がまだ20〜30年といったところだったと思います。やはり同じくリハビリテーション工学、リハビリテーションエンジニア、そういう職種が少しずついろいろなところに配置されてきた時代だと思います。
 私が入った時に有名だったのは、神奈川のリハビリテーションセンターと、労災リハビリテーション工学センターと、それから兵庫県のリハビリテーションセンターの中にエンジニアが配属されている部門がありました.大きなところとしてはその3カ所ぐらいだったと思います.

○中村
 それは社会的な認識がまだ醸成されていないということもあるかと思うんですが、障害者とかそれを支援される方の意識の中に、テクノロジカルな面を使ってサポートするという意識が、その当時なかなかなかったんですか。存在を知らなかったというのが大きいんですかね。

○飯島
 大きいでしょうね。それに、リバビリテーションとか、リハビリテーションという概念が社会の中にまだ浸透していなかったということがあると思うんですね。考え方としては施設リハビリテーション、病院リハビリテーションという考え方がようやく取り入れ始められて、神奈川のリハビリテーションセンターができて、そこの中に施設が併設されていて、そこに入るという流れですよね。
 ところが、実際に、リハビリテーションセンターに入って、訓練を受けて,いろいろなことができるようになったものの,在宅に帰るとまたいろいろな問題をかかえてしまう.そういうこともなかったわけではないということですよね。そういう状況の中で、エンジニアがリハの分野の中に入り込んできて、福祉機器をいろんな形で開発を始めてきた。
 あるドクターがこういうことをおっしゃっていました。「我々ドクターは治療をして,そして人間の残されている機能を活用できるお手伝いまではできる」。「エンジニアはいいよね、福祉機器を導入することによって、劇的な変化を提供することができる。うらやましい」と、そういう表現をされていました。
 確かに我々は、障害によってできなかったことが機器を導入することによってできるようになるという、そういう意味では非常にやりがいのある職種であるのかなというふうに思いますよね。

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