JAM SESSION  STAGE 8

ゲスト 横浜市総合リハビリテーションセンター 企画研究室 係長 飯島 浩氏

聞き手 日本福祉大学情報社会科学部 助教授 中村 信次

  


JAM SESSION第8回目のゲストは,横浜市総合リハビリテーションセンターで,高齢者,障害者のために多様な支援用具・機器などの開発に携わっている飯島浩さんです.

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飯島 浩・いいじま ひろし

横浜市総合リハビリテーションセンター 
企画研究室 担当係長 工学技師

略歴
機械工学が専門
1973年4月より神奈川県総合リハビリテーションセンター リハビリテーション工学科
にて車いす,電動車椅子、介助機器,スポーツ機器の研究開発を行う。
また車いすクリニックにより実際の利用者に対して車いすなどの個別適合に関わる。
1987年7月より横浜市総合リハビリテーションセンター 企画研究室にてさらに姿勢保持装置の研究開発に着手、また、在宅リハビリテーションサービスに係わるようになり在宅障害者のニーズに即した実際の福祉機器の供給のサポートを行う。
また、車いす、シーティングクリニックにおいて、車いす、電動車いす、姿勢保持装置などの個別適合に係わる。
1999年5月から同センター 地域サービス室 横浜市泥亀福祉機器支援センター センター長 地域に密着した福祉機器の供給にかかわる。
2001年4月より同センター 企画研究室 担当係長 (現職)

開発機器;モジュラー型の車いす【ニューモス】(ニュー21プロジェクト)、移乗介助機【こまわりさん】、競技用チェアースキー、モジュラー型シーティングクッション、高齢障害者用「LCチェアー」の開発などに係わる。

著書
共筆 車いす(医学書院)、
テクニカルエイド−選び方・使い方−(三輪書店)など

○飯島 
 ダウンヒルなんかですと、2キロぐらいのコースを、それこそ最高速度105キロぐらいで滑ります。スタート台なんか40度ぐらいの傾斜です。当初は本当にソリ型みたいなところから入っていったんですけど、彼らのバランス能力というのをむしろ我々が教えていただいて、そういう彼らの能力を引き出して一般のスキーに近いものということで開発をしていったんですね。
 その後が、ここの横浜リハビリテーションセンターに昭和62年7月から移ってきたんですが,以前から準備室の関係で、私はここの補装具製作室とか研究室の関係のいろいろな企画のお手伝いをさせていただいていたんです。

○中村 
 リハビリテーションセンターの立ち上げの時のですね。

○飯島 
 そうですね。特にこちらに来る予定はなかったんですが、お手伝いをしていましたし,実際に研究室もそこで備えられるということで移動をきめました.そこの中で今度は在宅リハビリテーションというのがここの一つの目玉になっていました。
 最初は企画研究室ということですから、研究業務ということだったんですけれども、神奈川のリハセンターで行っていたことはもちろんここでもやっていくという中で、そして在宅リハビリテーションというのは、むしろ我々が経験していなかったフィールドだったと思うんですね。利用者の基盤に入り込みますから。

 

○中村 
 今日は,お忙しいところありがとうございます.横浜市の総合リハビリテーションセンターの活動は,よく伺うのですが,今日は,飯島さんのご活動なども含めてお話しを聞かせていただきたいと思っています.まず、どういったご経緯でこういった職につかれたのか、お教えいただければと思います。

○飯島 
 私は機械工学が専門なんですけれども、昭和48年4月から、まず最初、神奈川県総合リハビリテーションセンターのリハビリテーション工学科というところに入りました。当時、機械系というと自動車業界などではかなり就職先もあったんですけれども、何となく機械を相手にというよりは、自分の持っている機械的な技術を何か役立てられないだろうかということがありましたので、その時に障害者のための研究機関というお話だったんです。
 そこで、最初は義足とか義肢、当時ですと名古屋のリハビリ工学センターなどでちょうど義足の研究が盛んな時だったでしょうか。歩行分析もやられていた中での話です。ただ、私はどちらかというとオートバイとか自転車が好きだったものですから、その時に神奈川のリハビリテーションセンターというと車いすの方たちが多かったんですね。そうすると義肢装具よりはそちらの方がまだやられていないし、むしろ必要な分野であるということで、それで車いす、電動車いす、移乗介助機とかの研究開発を担当したんです.あとは車いすの利用者との関係でいろんなボランティア活動もしていたものですから、その中で特にスキーの関係で、障害者スキー大会というのがあって参加をしたんですけれども、そこは参加者が義足とか装具の方たちだけだったんです。聞いてみたら「車いすの人の道具なんかないよ」というので、それから今の横浜リハ副センター長の田中らとチェアスキーの開発を始めたんです。

○中村 
 何回か前のパラリンピックで初めて冬季の大会を見させていただいて、装具をつけられて片足でスキーをされている方とか、チェアスキーでされている方がいて、すごいなと思いました。

中村 信次・なかむら しんじ

1967年愛知県生まれ
日本福祉大学情報社会科学部 助教授
名古屋大学文学部卒
名古屋大学大学院文学研究科博士前期課程修了.博士(心理学)

専攻分野は知覚心理学、特に運動知覚および空間知覚に関する研究
「心理学」「ヒューマンインタフェース」「視覚心理学」などを担当

 

 

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