Viewpoint 9

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 スリランカの南西部の街, ゴール (Galle) 市のフォート (fort:砦) はユネスコの世界遺産のひとつに指定されています. この世界遺産の中にある瀟洒な Dr. Ladwahetty の家の一室が我々の調査行の宿舎になって 10 年近く経ちます. 乏しい研究費を遣り繰りしながらの貧乏調査行ですが, 世界遺産の中に宿をとりながらのとても豪華な旅だともいえます.
 16 世紀初頭のポルトガルに始まるスリランカの植民地支配は, 支配国がオランダ, イギリスと代わりながらも 1948 年の独立まで続きます. はじめは肉桂 (シナモン) の, 後には紅茶も加わった植民地産品の搬出港としてゴールは栄えてきました. 市の西方, インド洋に突き出すように, 星型の石造りの砦が築かれており, この砦とそれに囲まれた地域全体をフォートと呼んでいます. 17 世紀中頃以降のオランダ支配の時代に築かれたものです. 欧州列強の競争相手に備え, そして原住民から自らの身を守るための砦だったのでしょう, 西洋人の“意志”と“計画性”を感じさせるとても頑強な構築物です. フォートの門の上部にはオランダの東インド会社の紋章が, その反対側にはイギリスの東インド会社の紋章があり, いまでもひとびとの出入りを見下ろしています. フォート内には植民地時代の教会や邸宅, 貧しげな庶民の家々が入り混じり, 曲がりくねった路地と相俟って独特の雰囲気を醸し出しています. 日の出前にはモスクからの祈りの声が聞こえ, 時には仏教徒のパーリ語の詠唱も聞こえてきます.
 明の永楽帝の命を受けた鄭和は 29 年間に前後 7 回の南海大遠征を行いました. スリランカにも遠征を行い, 現在のゴール市に上陸, 朝貢国としています. ポルトガル人がスリランカに来る前, 15 世紀始めの頃のことです. 1873 年, 岩倉具視使節団は米欧訪問の帰途, このフォート内の New Oriental Hotel に投宿したことを知ったのは最近のことです. このホテルはいまでも営業を続けています. 米欧の視察を終え, イギリスの植民地下にあるスリランカのこのホテルで岩倉具視, 伊藤博文, 大久保利通らは何を語り合ったのでしょう. 西洋と東洋の歴史が交差するゴールの街は, 時を超えて様々な想いを私たちに語りかけてくれます.   (Y.I.)  

トピックスへ→