実施報告

2016年2月11日(木・祝)開催
日本福祉大学大学院社会人学び直し大学院プログラム説明会
「福祉開発マネジャー」の可能性と養成プログラムでの学びセミナー

画像 2016年2月11日(木祝)13時より、ウィンクあいち特別会議室1301において、 「『福祉開発マネジャー』の可能性と養成プログラムでの学びセミナー」を、36名の参加をえて開催しました。
 
今回の企画では、「福祉開発マネジャー」をより身近に感じていただくために、多彩な協働で福祉とまちづくりを地域で融合させ大きな成果を生み出している東近江市から、2人のキーパーソンにお越しいただきました。
 
画像 (株)あいとうふるさと工房の代表取締役の野村正次氏は、旧愛東町の「菜の花プロジェクト」という資源循環型の地域モデルとなる環境施策に役場担当者として関わり、その後あいとうエコプラザ菜の花館長と兼務で事務局長としてもNPO法人愛のまちエコ倶楽部に関わられました。 その中で、農の多面的機能の活用に着目し地域課題をプラスに変える意味からも、「食とエネルギーの地産地消」を目指されていきます。
 
2005年、合併により東近江市が誕生。
2008年に市内NPOとまちづくり協議会、市を含む11団体で組織化した、NPO東近江ハンドシェーク協議会が設立され、事務局長になられました。
 
それぞれの活動をつなぎ、強みを活かし合いながら、市の地域資源を再評価し、あるものをつないでビジネスにし地域の自立に結びつけていくという発想は、体験プログラムの開発や実施、農家民宿の開業などにつながっていきます。
 
そして、2009年どのようなものがあると地域での暮らしに役立つか、課題出しや夢語りの中から、「妄想図作成」に至り、具体的な実践の形として「あいとうふくしモール」構想へとつながっていきます。 それは、圏域の保健福祉懇話会で、制度外のカバーをどうしていくかが語り合われたことからでした。
 
障害者の雇用、高齢者の暮らし支援、農家レストランという3事業の連携で「夢をカタチに、安心をカタチに」をキーワードとし、「食」と「ケア」、「エネルギー」が充足した拠りどころであり、つながり合うことで地域を支え対応できる場が目指されたのです。
 
野村氏の発表のテーマは「なぜ、公務員を辞めレストランを始めたのか」。
2010年、緑の分権改革課の新設で課長として異動した野村氏は、引き続き仕事を通じて地域資源を活用し人・モノ・カネを循環させた地域活性化に関わられていましたが、2012年に市役所を退職し、この「あいとうふくしモール」の農家レストラン「ファームキッチン野菜花」の経営に乗り出します。 ここでは、地域の野菜を使い、地域の人たちを雇用し、伝統食も含めたメニューを開発しています。 モール内では、薪が利用され間伐材の利用も行われています。
 
画像 レストラン経営への踏み込みは、未経験の素人でもありリスクがあることを相当覚悟してのチャレンジだったとおっしゃいます。 それは、実際はやる人がなかなか出てこなかったからであり、責任を強く意識したからだとも。
 
「専門的に進もうと思えば思うほど、幅広い分野とつながり幅広い視野が必要」 「自分の仕事以外の場を持ち、2足目の草鞋を履くことが大切」 という言葉には、平野教授も指摘された「もう1枚の名刺」があってこそ培われた人とのつながりが、今まさに大きな力になっているのだという実感が込められていました。
 
「行政は異動があり、どうしても元職場でのことを切って次にいかざるをえない。 地域に入りきれて来なかったことにも、反省があった」と、行政職員としてのジレンマと渇望を吐露されましたが、一方で役場での経験が大きく意味を持ってきたことにも触れられました。
 
画像 東近江圏域働き・暮らし応援センター“ Tekito-センター長の野々村光子氏は、「“10年後の彼を見つめた応援団づくり”~未来への下ごしらえ~」をテーマに話されました。
 
働き・暮らし応援センターは、現在滋賀県7圏域全てに設置されており、障害のある人の「働く」こと「暮らす」ことを一体的にサポートする専門機関として、本人・家族・企業からの相談に無料で応じ、仕事に関する相談はもちろん、仕事をする上で基本となる生活に関する相談にも対応し、自立した生活をするための支援をしています。 野々村さんは、就労支援に長く関わられてこられましたが、沢山の人が働きたいとノックするなかで、働ければ就職できればいいではない、「人と人の間に仕事が入ると、地域も人もすごく変わっていく」ということに気づきます。 「家へ帰って缶ビール1 本開けて寝る位の仕事って、大事だけど難しいなぁ」という利用者の一言が心に残り、「その人に丁度いい働き方を考えていく=適当」という名をつけたのだそうです。
 
一家で持ち家に暮らす世帯が多い東近江圏域では、引きこもり者やグレーゾーンと思われる人たちも案外隠れており、障害として把握できない人たちもいると言います。 しかし、「仕事」「働きたい」「働かせたい」という切り口は、非常にハードルが低く相談に訪れやすい場所になることを痛感してきたため、障害の有無でこれまでも利用制限はしてきませんでした。 現在は、生活困窮者自立支援事業の生活準備事業も受託して、より幅広な対応が可能となっています。
 
画像 困窮者や障害者を困救者、つまり地域の困りごとを救う希望の光と見るという視点は、また一方で人と人とがつながることで新しい仕事の依頼に発展し、地域になかなか顕在化してこなかった困りごとを 仕事として掘り起こすことにもつながっています。それを、野々村さんは「軒下産業」と表現しています。 地域の人もモノも全て資源と見る視点で生まれる、よりよい地域づくり。 「地域の仕組みの中に仕事があることが重要」という言葉には、互いを理解し合い、助け合う地域社会の仕組みの中に彼らが排除されず組み込まれていることの重要性を示しています。
 
画像 野村氏の話にもあった、間伐材の薪割り作業は彼らの大きな働き場所です。 アウトレットモールのリサイクルも、図書館の葉刈り作業(雑草抜きや剪定)も繁忙期の人参引き抜き作業の手伝いも。 「働けるか働けないかではない。どんな働き方が彼らに合っているかを見つけることができる、地域でありたい」という力強い言葉は、これから団塊の世代である親が定年退職して5年後が課題と感じている側面からも、まさに未来への下ごしらえであると感じました。
 
福祉開発マネジャーのツボは?
アイデアはどこから?
との問いに、野村さんは「制度やサービスを供給側から見てしまうが、本当は受け手側から見る必要がある」、 野々村さんは「ノウハウよりマインドが大事。1石7鳥、3鳥では人は動かない。人と人をつなげて重ね、ちょっと面白い方がいい。 制度は彼らの後からついてくる。生きづらい人たちが選択するものが地域にあればよい」などと答えて下さいました。
 
画像 本学の平野教授も、「ハンドルや袖にあるような『遊び』、余裕が大事で、面白がることで活路が見出されている」とまとめられていました。 合澤委員も、「関係者皆にメリットがある取り組みというものは、福祉開発マネジャーに求められる資質でスキルと言えるのではないか。盛り上げながら、一人勝ちをするのではなく」と発言して下さいました。
 
実際の語り口は、お二人とも情熱にあふれ本当に楽しいもので、それぞれの語りに学び、多角的に考える機会にすることができました。
 
画像 プログラムの全体説明では、講義、演習、フィールドワークの関係性などが紹介され、プログラムが体系化されていることや履修証明のための5修了要件、オンデマンド講義受講や掲示板利用の方法、キャンパス利用などについても、穂坂教授から説明されました。
 
フィールドワークへの誘いとして、担当の雨森教授を中心として今年度の概要や掲示板での議論などについて紹介しました。
 
 
 
 
 
画像 初の試みとして、現受講生と教員がそれぞれテーマの異なる4つのテーブルに分かれ、参加者にも自由に関心のあるテーブルに座って貰い、対面で話ができるような「テーブルQ&A」を行いました。
 
テーブル毎に、どうしてこのセミナーに参加しようと思ったかなど自己紹介が簡単にされて、和気あいあいとした雰囲気の中で、関心ある分野での質疑応答や議論も活発に行われました。 現受講生4名の参加で、受講生同士のネットワークの魅力や受講の上での工夫などに触れていただくことができ、受講検討している方々にもリアリティある情報提供が可能となりました。
 
画像 本セミナーでは、実践の場でマネジメントに携わる担い手の養成に着手した本年度を振り返りつつ、 新年度のカリキュラムを中心に紹介しながら、改めて目指す「福祉開発マネジャー」像を明確にすることで、次なる2年目への起点としたいと考えて開催しました。 テーブルコミュニケーションの場で感じられた、本プログラムへの期待についても受け止めながら、しっかりと2年目の事業につなげていきたいと考えています。

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