「子どもなんだから福島には行かないほうがいいよ。」この言葉が私に火をつけた。 被災地宮城県でのボランティア活動を終えた方々からの報告会。これは私の質問に対する答え。「健康を心配してくださっているのはわかるけど…」。 確かに、放射線被害の実態を私自身がどこまで知っているのかと言われると疑問符が浮かぶ。新聞を読みあさっても、放射線がもたらす人体への影響は専門家でさえ見解が違う。 「だけど、そこには、私よりも小さな子どもがいる。外で遊べないんだよ。重度障がいの方だって暮らしているんだよ。毎日、目に見えない恐怖とこれからもずっと過ごすんだよ」。 「福島から来ました。」と言ったら、「放射能がうつる。」と逃げ出す人がいて悲しかったと子どもが語っていた。決めた。私は福島に行く。そしてこの目で確かめる。 66年前に広島で被爆。今回、郷里福島で人生2度目の放射線被害に悲しむ81歳のOさん。寝たきり生活のOさんに会いたくて、記者に手紙を出し、その思いを伝えた。Oさんとご家族に、避難区域外で直接お会いする機会をいただいた。 福島県伊達郡川俣町。「風評被害に負けない」の看板が目に入る。福島と真正面から向き合っていないのは私自身だったのだ。重すぎる現実に目をつぶっていてはだめだ。 「来てくれてありがとう。」と、Oさんは涙を流して喜んでくださった。妻T子さんは「ずっと被爆者のことを忘れないでほしい。」と語ってくださった。「もう誰にも同じ思いをさせてはならない」という“ヒバクシャ”の悲願と福島の願いが重なった。 福島の詩人・和合亮一さんの言葉が浮かぶ。「牛にも、街にも、私にも。この地球よりも、重たい命がある」「福島を愛する 福島を子どもたちに手渡す 福島と共に涙を流す 福島は私です 福島はあなたです福島で生きる 福島を生きる」。 福島は私。放射能は見えないけど、人と人とのつながりはくっきり見えた。私は、これからもずっと、福島とつながる。
このエッセイに書かれた作者の行動については、審査員の間でも色々な意見が出ました。しかし、少し荒っぽくても、行動しないではいられなかった作者のエネルギーや、一気に読めるテンポの良さを評価しました。東日本大震災を扱った作品はたくさんありましたが、このエッセイが一番迫力がありました。頭の中だけで考えた話ではなく、自分の身体を動かして行動した話だからでしょう。この経験を通して、作者がこの先も福島の人たちに心を寄せていくんだろうなと考えて、その期待も込めて優秀賞に選びました。