Viewpoint 4

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 乾期の後半ともなると, ここビエンチャンも土ぼこりだらけで, 木々の葉もすっかり赤茶色になっています. アジアに残された数少ない社会主義国であるラオスも, この3, 4年の間に大きく様変わりしました. 街中に大きなホテルやレストランが店開きするだけでなく, 遠く離れた山間地域にも開放の波が押し寄せています. ビエンチャンの北約 160kmに位置するヴァンヴィェンにも, タイの雑踏に疲れた旅人が押し寄せるようになりました. 彼らが求めているものは, ラオスの桂林とでも呼べる石灰岩の奇岩が聳える美しい風景や穏やかで素朴な村人の心, のはずなのですが, どうも実際は少し違うようです. バンコクのカオサン (安いゲストハウスが並ぶ地区) あたりでは, ヴァンヴィェンに行けば手に入るものがある, といううわさ話が広まっているようです.
 ところで, 数年前に南部のメコン川の中洲を小さな手漕ぎ船で訪ねた時のことです. 出作り小屋で寝ていた老人は, 私が日本人であると知るや否や, 「どうだ, 俺の作った米を買わないか. 日本は米が足りなくて困っているそうじゃないか」 と言い出しました. 彼は毎日, 堀っ立て小屋で昼寝をしながらタイのラジオを聞き, 日本の, いや世界の情勢を知っていたのです.
 いつの時代でも, 社会が発達していく段階で情報の果たす役割は重要です. かつては政府が情報を操作することにより社会をコントロールしてきました. しかし, 全面的な情報操作はもう不可能です. ラオスの山奥でさえもラジオが世界の情勢を伝え, 人々のうわさと商人のもたらす情報が生活を変えています. たしかに, 入ってくる情報の量は昔とは比べ物になりません. しかし, 大量の情報の中から, 何が重要なのかを見抜く力をつけることはそう簡単ではありません.
 ラオスの焼畑地帯を歩きながら, そんなことを感じています.
(C)