はじめてのふくし21版
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じ院ひしかじひせ薬身院院田箇き木でんいんいん(孤児や病人の世話をするところ)など仏教の慈)がつくられています。いんやく(貧し悲36がく学しゅう修先生(1902年−1962年)は、生涯を社会事業にささげた宗教家です。その中で、戦災孤児になり浮浪生活ですさんだ子どもたちと接し、また障害をもつ子らを思うにつけ、未来をになう子どもたちを育てていくためには、人類愛に根ざし、専門的な知識をもって社会福祉の現場で働く人の育成が急務だと痛感するようになりました。1950年代の初頭、社会福祉事業の従事者を養成する専門教育機関は、日本社会事業短期大学(関東)、大阪府立社会事業短期大学(関西)しかなく、中部地方でも設置が切望されていました。修学先生は、「人間愛と科学的精神に満ちた社会福祉事業従事者を自らの手で育てたい」という熱い思いをもって、1953年、名古屋市内に中部社会事業短期大学(後の日本福祉大学)を創立しました。(『日本福祉大学50年誌』『日本福祉大学の二十五年』より)学園創立者 鈴木修学(日本福祉大学サイト)© 2004 Nihon Fukushi Universityていしんし、戦後には、法音寺山首として宗教活動にたずさわるかたわら、財団法人昭徳会(現 社会福祉法人昭徳会)理事長として児童や障害者の施設の運営にあたっていました。ぜん1慈善「ふくし」という目で日本の歴史を見ると、聖徳太子の時代には、すでに施い病人に薬を与えるところ)や悲の精神にもとづく4つの施設(四世界に目を移しても、ローマの圧政に苦しんだキリスト教徒は、信者の相互扶助(助け合い)をおこないました。こうした救済を慈善といい、ほかの宗教でも慈善活動がおこなわれてきました。現在でも、社会福祉の事業をおこなっている宗教団体が多いのは、慈善活動の伝統があるからです。バザーもまた、こうした歴史から生まれました。慈善活動は、裕福な人が貧しい人や恵まれない人にお金などを与えて援助するものです。最初は、個人的な活動でしたが、しだいに、援助するためのグループが生まれてきました。また、貧困や病気は、個人的な問題ではなく、社会がつくりだした問題だというように理解されるようになり、社会的に恵まれない人たちを援助しようとする活動が生まれました。さらに、学生が地域住民とともに地域のさまざまな問題を解決していきながらお互いに成長していこうという「セツルメント」という活動もあります。これは、恵まれない人たちの生活を後押しして、自分で生活できるように援助する活動としてはじめられたものです。これがヨーロッパでの「社会事業」のはじまりです。11鈴木修学先生と日本福祉大学の創立すず鈴昭和初期からハンセン病患者の救済活動などの社会事業に挺11活動から社会事業へ

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