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●歴史からみた知多半島 ●「ものづくり」半島 |
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●進取の精神と創意工夫
その中埜又左衛門が造った酢は、米とは違い酒粕を原料とするところに特色がありました。酒造りが盛んだった半田や亀崎では、酒と同時に大量の酒粕が生み出されました。その酒粕から酢を造ることによって、酒・酢の醸造はまったく無駄がでない産業になりました。酒造りの過程で出てくる糠は肥料に、酒粕は酢の原料や肥料に、酢を絞って残る酢粕も肥料に、とすべての廃棄物が再利用されるようになったのです。 また、明治にはいると、新しい製品も作り出されます。その一つがビールです。明治10年代後半から試行錯誤が繰り返されて、本場ドイツの技術・機械を導入した半田の丸三麦酒株式会社の「カブトビール」が20世紀初頭には全国5位のシェアを占めるようになります。まだビールが高級な飲み物だった時代です。同じころ荒尾村で生産され始めたのがトマトケチャップです。トマトケチャップは日本風にアレンジされた洋食の普及とともに、生産量を増やしていきました。ビールといい、ケチャップといい、日本人の生活が西洋化するなかで、新たな需要を見込んでの新商品への挑戦でした。 ただ、ビールもトマトケチャップも「逆境」から生まれた新商品です。ビールは低迷する知多酒造業の打開策の一つとして着目されたものです。ケチャップも、売れ残ったトマトの処分に困り、西欧にならって調理用ソースとして加工したのが始まりです。 |
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●「ものづくり」を支える条件 知多半島でつくられた製品を江戸へ運ぶのに重要な役割を果たしたのは船です。江戸時代においては船が物資輸送の主たる手段でした。知多半島は海に囲まれた半島だけに、古くから伊勢湾内やその周辺への船の往来が活発でした。それらの船はしだいに大型化して、上方・瀬戸内方面や江戸方面へ遠距離航海を行うようになります。廻船は知多半島産の製品を運ぶと同時に、原材料やその他の必要な物資をもたらし、廻船と知多半島の産業は密接な関係にありました。18世紀後半には知多半島は廻船の一大拠点として知られるようになり、その後の約1世紀にわたって知多半島の廻船は、日本全国の物流のなかでも大きな役割を果たすようになります。 古代以来の歴史を持ち、19世紀に大きく花開いた知多半島の産業ですが、近年では、酒造業や織布業のように、廃業してしまうケースも少なくありません。しかし、いまだに「現役」でがんばっている企業もあれば、産業で栄えていた時代を思い起こさせるものも数多く残っています。単に自然だけではなく、そうした歴史を感じさせるところが知多半島の特徴であり魅力であるといえるのではないでしょうか。 |
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