名称 |
木全湛水の歌碑 |
所在地 |
南知多町 篠島 篠島小内妙見斎跡 |
区分 |
歌碑 |
詠者 |
木全湛水 |
揮毫者 |
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建立者 |
直交、寂水、荘之(湛水の門人) |
創立年月日 |
天明2年8月 |
高さ |
55cm |
幅 |
25cm |
材質 |
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碑文 |
なには瀉あしの一よのなこりかな/あまたの秋の月はすむとも |
意味・出典 |
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由来 |
江戸時代、篠島は尾張藩の流刑地であった。その中に木全湛水という名古屋の商人がいた。通称を小刀屋藤作雅直、のち藤左衛門といい高名な歌人であったという。湛水の罪状は詳らかではないが、一説によると尾張藩主・徳川宗春が、倹約政策を進める将軍・吉宗によって隠居謹慎を命じられたとき、宗春公の赦免を上書して罪に問われたという。 この碑には、湛水の辞世の歌が刻まれている。 |
参考文献 |
愛知の文学碑P56 |
備考 |
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交通 |