名称 |
久村暁台の句碑 |
所在地 |
南知多町 山海 西方寺 |
区分 |
句碑 |
詠者 |
久村暁台 |
揮毫者 |
|
建立者 |
|
創立年月日 |
|
高さ |
|
幅 |
|
材質 |
|
碑文 |
浦の梅花かたつらにさきにけり |
意味・出典 |
|
由来 |
久村暁台(くむらきょうたい)は、二条家の俳席で宗匠を務め、西は九州、北は越後からも門人を集める声名高き俳人であった。暮雨巷などとも号した。宝暦11年(1761)の頃、尾張藩家老横井也有の援助を受けて一時名古屋に落ち着き、天明の頃復古調を唱え、蕉風復興運動をすすめた人である。 |
参考文献 |
全国文学碑総覧P566 |
備考 |
|
交通 |