知多半島の文学碑データベース

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名称

万葉 須佐の入江歌碑

所在地

南知多町豊浜小学校(校舎前の森)

区分

歌碑

詠者

揮毫者

佐佐木信綱

建立者

斎藤駒吉

創立年月日

昭和37年11月3日

高さ

204cm

123cm

材質

碑文

あぢの住む須佐の入江の荒磯松(ありそまつ)吾(あ)を待つ児らはただ一人のみ

あぢの住む渚沙の入江のこもり沼(ぬ)のあな息づかし見ず久にして

意味・出典

アジガモの住んでいる須佐の入江の荒磯に生えている松のように、私を待つ女性は、あなた一人だけです。

アジガモの住んでいる渚沙の入江の奥深くこもっている沼のように気持ちがこもって息苦しいことです、あなたに長い間会わないので。

由来

万葉集には南知多に関係した歌は三首あり、そのうち「すさの入江」を詠んだ二首が刻まれている。ここに詠まれた「すさの入江」は、今の南知多町豊浜の須佐湾(豊浜港)だとする説は古くからあったが、南知多町山海出身の万葉学者・瀬古確(熊本大学教授、のちフェリス女学院大学学長。1980没)、愛知学芸大学教授・松田好夫(1904−88)らが、郷土史家・斎藤駒吉の協力のもと、論考を発表し、「すさの入江」が豊浜の須佐湾であるとの説が学会にも認められた。ここには、松田博士の説に基づき、本来問答歌であったとされる巻11と巻14の二首が、当時、万葉学会の最長老であった歌人佐佐木信綱の揮毫を得て刻まれている。

参考文献

愛知の文学碑P24 全国文学碑総覧P56 市誌・町史P917 南知多町制25周年記念要覧P38

備考

裏に「昭和37年5月8日建立」とあるのは、石工が彫り終わった日のことである。除幕式は昭和37年11月3日。万葉集 巻11-2751巻14-3847

交通

名鉄河和線河和駅からバス中村下車すぐ

 

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