名称 |
河東碧梧桐の句碑 |
所在地 |
美浜町鵜の山池畔 |
区分 |
句碑 |
詠者 |
河東碧梧桐 |
揮毫者 |
裏の碑文は、碧梧桐の高弟、喜谷六花 |
建立者 |
吉田栄、浅田斗南 |
創立年月日 |
昭和24年10月23日 |
高さ |
116cm |
幅 |
53cm |
材質 |
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碑文 |
鵜の音雛(もろ)とも巣立つがもろ音 |
意味・出典 |
愛知の文学碑p174全国文学碑総覧p565 |
由来 |
河東碧梧桐(1872-1937)は、愛媛県松山生まれ。同じ正岡子規を師とし伝統的な俳句の世界を守ろうとホトトギス派を率いる高浜虚子に対して、実感と印象を重んじる「新傾向」を主張した俳人である。やがて自由律への傾斜を深め、ルビを活用して表現の精緻化を図る「ルビ俳句」を実践するに至る。この碑に刻まれた句にもルビが振られている。 昭和11年5月、碧梧桐は知多半島から名古屋・大阪・松山・広島・郷里の松本・上諏訪を経て帰京する吟行の旅に出た。その時知多半島を案内したのが、半田市の俳人でこの碑の建立者・浅田斗南と吉田栄である。 碧梧桐の「新傾向」から生まれた自由律は、種田山頭火らの異色俳人の輩出へと繋がってゆく。 |
参考文献 |
市誌・町史p847、資料編二p256 |
備考 |
新傾向 |
交通 |