名称 |
楓園襦鶴の句碑 |
所在地 |
東海市加木屋町西御門23 普済寺境内 |
区分 |
句碑 |
詠者 |
楓園襦鶴 |
揮毫者 |
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建立者 |
襦鶴の門人ら |
創立年月日 |
昭和5年春 |
高さ |
148cm |
幅 |
118cm |
材質 |
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碑文 |
雨かせにしらせともなし花盛 |
意味・出典 |
満開の花が散るのは惜しい。花盛りであることを雨風に知らせたくはない。(ここには、人生の盛りを無情の風にさらしたくないという気持ちが込められている) |
由来 |
加木屋の早川都竺、村瀬大阜・帯梅を輩出した横須賀など、当時の東海市は伝統的に俳諧の盛んな土地柄であった。そうした中にあって、加木屋村に生まれた楓園襦鶴(1848-1932)は、少年の頃より俳諧を志し、明治11年二十歳の時に、永井荷風の祖父にあたる永井士前の門に入る。やがて、家業を弟に譲った襦鶴は、俳諧に専念し、全国に仲間と門弟を持つに至る。楓園襦鶴は、本名久野増右エ門(幼名理市)。嘉永元年(1848)加木屋の久野家に生まれる。12歳で高横須賀の富田家に奉公し、その年から発句をはじめた。慶應3年(1867)楓園襦鶴と改号。 この句碑は、昭和5年、襦鶴が、長寿を祝して昭和天皇から杯を下賜されたことを記念して門人たちが建立したものである。 なお、付け句の名人と称された襦鶴を偲んで、毎年4月22日の「襦鶴忌」では、普済寺で連句の会が催されている。 |
参考文献 |
愛知の文学碑p162市誌・町史p594 |
備考 |
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交通 |