プロアスリートをめざした
きっかけ
- 所属チームの決定おめでとうございます。卒業後はJDリーグ(Japan Diamond Softball League)、Wリーグ(WOMEN’S JAPAN BASKETBALL LEAGUE)という最高峰の舞台で競技を続けることになりましたが、どの時期からプロの世界に挑戦することを意識していたのですか?
- 2年生の時にコーチから「上のレベルをめざしては?」と言われたことがきっかけでした。ソフトボールは大学までと考えていましたが、プロの選手になるという選択肢もあるのだと知り、少しずつ意識するようになりました。
- 入学当初は自分がプロの選手になるなんて想像もしていませんでした。練習や試合を重ねていく中で勝つ楽しさを知り、競技の魅力に改めて気づいて、「卒業後もソフトボールを続けたい。やるからには高いレベルをめざしたい」という思いが徐々に大きくなっていきました。
- 私も1~2年生の頃はとても考えられませんでした。当時はリーグ戦でもなかなか結果が残せず、悔しい思いをしましたが、3年生になってから強豪チームとも互角に戦えるようになり、それに比例して「自分の力がどのレベルまで通用するのだろう」という気持ちが芽生えました。
- 漠然と意識したのは2~3年生の時です。リーグ戦(東海2部)で優勝して、最優秀選手にも選ばれ、努力すれば結果を残せるのだと自信になりました。教員志望で教育実習も経験しましたが、より高いレベルで大好きなバスケットを続けたいと考えるようになりました。
トップリーグを経験した
監督・コーチの存在
- 日本福祉大学で競技を続ける中で、プロになるという目標が見つかったわけですね。女子ソフトボール部と女子バスケットボール部は、監督・コーチがトップリーグでのプレー経験を持っています。そのこともプロをめざす上でアドバンテージになったのでは?
- 監督にはプロになりたいという意志をしっかりと伝え、さまざまなアドバイスをしていただきました。所属チーム(大垣ミナモ)のセレクションに参加させてもらえたのは、監督の紹介があったからですし、日本福祉大学の先輩が所属していたこともアドバンテージになったかもしれません。JDリーグとの“人脈”があったことは大きかったと思います。
- ソフトボール部は実業団チームと試合をしたり、合同練習をしたり、直接指導を受ける機会に恵まれていました。3年生の冬には、東京オリンピック金メダリストの方から「上のリーグでプレーを続けてみたら」と声を掛けていただきました。元日本代表選手として活躍した方の言葉だったので、とても大きな自信になりました。
- 私は監督からプロの世界を勧められたことはありませんでした。ただ、監督の知人が「日本福祉大学に面白い選手がいる」と所属チーム(姫路イーグレッツ)に推薦してくださったことを後に知りました。Wリーグでプレーを経験している監督の存在が、プロの選手になる上で後押しになったことは間違いないと思っています。