取組・活動紹介

卒業生に会ってきました(池田市役所 新実秀太さん)

卒業生紹介

2020年12月21日

「もう一度立ち上がらせてくれた場所。」

 高校野球の夏の大会が終わった瞬間、自分の人生も終わったと心から思った。しかし、大学での福祉の学びやアメリカンフットボールとの出会いを経て、こんなにも自分が成長できるとは思ってもみなかった。新実さんは当時をふり返りそのように語ってくれた。
 現在は公務員として市役所で働く一方で、学生として日本福祉大学の通信教育で社会福祉士の取得を目指している。地元の大阪からなぜ愛知の日本福祉大学に進学し、そこでの出会いや経験が彼の人生にどのような影響を与えたのか。そして、社会人になってからなぜ福祉を学び直そうと思ったのか、これまでの自身の人生をふり返っていただいた。

自己紹介をお願いします。

 私は、2009年(平成21年)に当時通学課程の福祉経営学部医療・福祉マネジメント学科に入学し、2013年(平成25年)に卒業しました。現在は通信課程になっていますね。高校は、大阪市立桜宮高校を卒業しました。

 私は高校までは野球をしていましたが、大学では野球以外のことにも挑戦してみたいと思い、アメリカンフットボール部に入部しました。大学を卒業後は新卒で民間企業に就職しましたが、2015年(平成27年)に池田市役所に入庁しました。池田市は大阪府の北部に位置しており、人口は約10万人です。NHKの連続テレビ小説「まんぷく」の舞台にもなりましたように、世界初のインスタントラーメンが誕生した地としても知られ、「カップヌードルミュージアム 大阪池田」もあります。入庁後3年間は福祉部生活福祉課にてケースワーカーとして生活保護等にかかわる対応に従事させていただきました。4年目からは総務部課税課での配属となり、現在は固定資産税にかかわる担当をさせていただいております。池田市役所には職員厚生会公認の野球部もあり、私も参加して公私ともに汗を流しています。全国大会にはまだ行けていませんが、第40回全日本自治体職員スポーツ大会大阪府予選に優勝し、近畿地連大会への出場を果たしました。仕事以外のプライベートではアメリカンフットボールの社会人リーグ(Xリーグ)でクラブホークアイに所属しています。

Xリーグのクラブホークアイで活躍する新実さん

公私ともに充実していますね!

 そうですね。妻と子どもにも支えてもらいながら毎日楽しく生活しています。池田市役所の同期先輩後輩もみんな優しくて本当に仲が良いです。入庁した際、当時の副市長からも縦横のつながりを大事にしなさいと言っていただいたことを意識して日頃から実行するよう心掛けています。

市役所職員としてどのような仕事をされているのでしょうか?

 生活福祉課ではケースワーカーとして、様々なことが原因で生活に困っている方のご相談を受け、サポートをさせていただきました。その中でも、相談者に真摯に向き合い、言葉や表情の奥に隠れたニーズを把握し、制度のもとでいかにして自立のサポートができるかを常に意識していました。サポートさせていただく中で、生活を立て直すことができた方から感謝の言葉をいただいたときは、この仕事をしていて良かったと、とても嬉しい気持ちになりました。現在の課税課では固定資産税にかかわる仕事として、固定資産を評価し、固定資産税を課税していくことが一年を通して行う業務になります。税金の公正公平な課税業務を遂行するために様々な専門知識が必要になってきます。経験すればするほど、非常に奥が深く覚えることもたくさんあります。勉強の毎日ですが、自分自身の知識の幅が広がり、できることも多くなってくることに日々やりがいを感じています。

新型コロナウィルスの感染拡大による職場での影響はありましたか?

 固定資産税にかかわる業務に関しては、新型コロナウィルスの影響で新たな軽減特例が制定されるなど、当初の業務スケジュールにも大きく影響しています。あとは、新築家屋の調査をして評価額を決定しなければいけないのですが、このような状況なのでご自宅にあがることが難しいため、評価の決定方法を変更したりするなど、臨機応変な対応が随時求められます。それと、ゴールデンウィークには休日返上で“ステイホーム”を促す宣伝カーを走らせたりもしました。これも市役所職員として大切な仕事だと感じています。部署によって状況も変わってくると思いますが、共通しているのは、私たちの仕事の先には市民の皆さまがいるということではないかと思います。そういう意味では仕事の目的は変わらない訳なので、今後も“withコロナ”を意識しつつ、自分のできることのベストを尽くしていきたいと思います。

なぜ大学で福祉を学ぼうと思ったのですか?

 中学2年生のときに私のひいお婆ちゃん(曾祖母)が亡くなって、そのとき漠然と「自分にできることはないんかな」と考えたことが福祉を考え始めたきっかけかなと感じています。とはいえ、当時は福祉がどんなものなのかなんて全く分かっていなかったので、それを確かめるように中学校の職場体験では高齢者施設を選びました。その頃から親にも福祉に興味があるということを伝えていましたね。当時の担任の先生からは「高いレベルで野球ができるところに行った方がいい。福祉を学ぶんやったら大学や専門学校からでも遅くない。」とアドバイスされ、野球の強い桜宮高校への進学を決めました。これまでずっと野球をしてきましたので、大学進学は野球も強く、高校ともつながりのある東北の大学を希望していました。ただ、高校野球では怪我によって思うような結果が残せなかったことと、希望の大学がかなりの強豪だったということもあり、当初の第一志望は断念しました。引き続き大学を模索しているとき、私が福祉にも関心があることを知っていた高校の先生が「日本福祉大学は良い大学やぞ」と勧めてくださり、当時、中日ドラゴンズの浅尾さん(現:中日ドラゴンズ二軍投手コーチ)がプロ野球で活躍していたことも知っていましたので、大阪を離れ、新たな土地で頑張ろうと日本福祉大学への進学を決めました。

関西にもたくさん大学はありますが、なぜ地元から離れたところへ進学を決めたのですか?

 たしか、12歳くらいのときには18歳になったら親元を離れて一人暮らしをしたいと決めていましたね。子どもながら親に頼らず一人で生きていけるようになりたいと思っていました。かっこいいことを言ってますが、結局親のスネをかじりまくることになりましたけどね(笑)あとは、知り合いのいない環境でいろんなことを挑戦して自分自身の視野を広げたいとも思っていました。当初第一志望だった東北の大学か、少年野球時代の先輩が行っていた福岡の大学の2つが自分の中ではずっと候補ではあったのですが、気持ちの中で、将来的には介護に限らず、“福祉”に携われる仕事ができたらいいなと思っていました。日本福祉大学に入ってからは、いつかは福祉業界で経営者になりたいと、周りに言っていた気がします。愛知県には新実という名字が結構多いみたいで、非常に親近感が湧いた覚えがあります。あと、自分はイチローが好きだったので、「イチロー記念館」(豊山町)があるということも愛知県の大学に進学しようと思った決定打の一つでしたね。たぶん3~4回は行きました。DVDも買いました(笑)

大学ではなぜ野球部に入らなかったのですか?

 入らなかったというか、正確には“入れなかった”ですね。実は、高校3年生の大会前にミスをしてしまったことが原因で夏の大会にも出られず、それが自分の中でとても印象に残っていて、これまで野球しかないという気持ちでやっていたのですが、恐怖症と言いますか、大学2年生のころまで高校野球を観ることができなかったり、どこか心の中で逃げたいという気持ちがあったんです。もちろん今でも野球は好きですし、市役所のチームにも積極的に参加しています。ただ、大学生になり、どうせ今までと全く違う環境に身を置くなら、経験したことがないことにもチャレンジしたいという気持ちがありました。

日本福祉大学での学生生活で夢中になっていたことはありますか?

 アメリカンフットボールですね。最初は硬式野球部に入るつもりでいましたが、新しい環境でチャレンジしたという気持ちもあり、アメリカンフットボール部に入部しました。幸いなことに、1年生の春シーズンからワイドレシーバーとして試合に出させてもらい、2年生になってからは東海選抜にも選ばれ、3年生になったら副キャプテンもやらせていただきました。4年生ではアメフトの本場であるアメリカのUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)で約1週間練習させてもらいました。在籍中は、チームとしては東海2部リーグ優勝2回、入れ替え戦でも勝って、日本福祉大学アメリカンフットボール部史上初の東海1部リーグでプレーすることもできました。東海選抜に選ばれたということもあり、大学から課外活動表彰もしていただきました。ゼミは佐藤皓一先生のゼミに所属していました。先生には「学生時代になるべく社会を見ておきなさい」という指導をいただいたことが特に印象に残っています。思い返せばアメフトだけではなく勉学の面でもすごくお世話になりました。

アメリカンフットボール部「WINGS」時代の新実さん

大学に入る前から新しいことに挑戦したいと思っていたのですか?

 小学校1年生から野球を始めて、プロ野球選手やメジャーリーガーを夢見てずっと頑張ってきたこともあったので、環境が変わっても自分が熱くなれる何かを見つけたいと考えていましたね。サークルの新歓(新入生勧誘)の時期に先輩の保護者の方がつくってくれたDVDを観て「かっこいいな、自分もやりたいな」という気持ちになったことを覚えています。あとは、自分が目立ちたがり屋な性格もあり、先輩のマネージャーさんにレシーバーが目立てると言われて決意しました(笑)大学に入ったからには今しかできないことをやった方がいいなと考えていました。

学生生活の中で印象に残った出会いはありますか?

 そうですね…。出会いはたくさんありましたが、振り返ってみて影響を受けた人はいました。
 まずは現在富士通フロンティアーズで活躍されている竹内修平さん(平成23年 福祉経営学部(通学課程)卒業)ですね。もう言わずもがなですね(笑)先程あんなにアメフトについて熱い話をしたばかりなのですが、実は、最初はラクロス部に入ろうと思っていました。(ここはカットしてもらいたいのですが、女子ラクロス部との交流も期待してました!(笑))新歓の時、母校の「桜宮高校」と大きく書かれたTシャツを着てラクロス部の部室に向かって歩いていたんですが、ラクロス部の部室の隣がアメフト部の部室なんですね。そこで「桜宮なの?」と声を掛けてくれたのが竹内さんでした。桜宮高校はバスケ部が強く、竹内さんもバスケをやっていたこともあり知ってたんですね。そこから私のアメフト人生が始まりました。その頃日本選抜にも選ばれていた竹内さんは、私にとっての目標になりました。ありがたいことに1年生の春から試合にも出させていただきましたが、そんな私に対して昼休みの時間などにも練習に付きあってくださった竹内さんはじめ、先輩方には本当に感謝しています。

 それと、チームメイトに加えて、アメフトにかかわる“大人”の方々の存在も大きかったと思います。高校まではいかに自分が試合に出られるかということばかりで、全てを自分中心に考えていた気がします。しかし、当時の監督から「チームメイトはファミリー」、「東海ナンバー1レシーバーになれ」などの言葉をかけてくださったこともあり、自分の周りにも少しずつ目を向けられるようになったことに加え、目標を定める大切さなど、多くのことを学ばせていただきました。
 また、学内ジムトレーナーの伊藤雅介さん(現:スポーツ・文化振興課)にも大変お世話になりました。高校の野球部ではあまりシステマチックな体の動きを理解していなかったのですが、アメフトは身体の使い方を理解することが大事だということを知り、個人としてもチームとしてもサポートしていただきました。私自身、伊藤さんの指導によってスピードが強化でき、当時の日本レシーバーでベスト10に入るくらいのスピードが身に付きました。多くの学生を指導する中、マンツーマンで指導してくれたことが本当に嬉しく、感謝しています。

 最後は私の妻です。日本福祉大学ではないのですが、私が就職活動をしている時期に出会いました。1つ年上で関西の大学を卒業しているのですが、大阪に戻って就職を考えていた私に、親身になって就活の仕方を教えてくれたりしたことがきっかけでした。当時勤めていた会社からの転職を考えていたときに、公務員を勧めてくれたのも妻でした。充実した生活を送ることができるのは妻や子どものお陰だなと日々感謝しています。

公務員になるための勉強は大変ではなかったですか?

 公務員になると決めてから、専門学校の社会人コースに通いました。ずっとスポーツしかやってこなかったということもあり、やっぱり勉強が疎かになっていたと自覚していたので基礎から学び直すことに決めました。休みの日は図書館でも勉強していました。しかし、公務員になるために大事なのは、もちろん試験勉強もそうですけど、その地域(市町村)をどのようにしていきたいか、市民の気持ちになって考え、面接でしっかりと想いを伝えられるかだと思います。試験前には池田市が求める理想の職員像をテーマに、一人で池田市内を散策したりして地域理解にも努めました。当時まだ24歳でしたが、ラストチャンスという気持ちで必死に勉強していたことを覚えています(笑)

日本福祉大学に入って成長したと感じることはありますか?

 目標を立てて努力することの大切さは高校野球でも学びましたが、高校のときは努力の仕方が間違っていたかなと、今思えば感じます。あの頃は何でもかんでも努力したらいいという気持ちで自主練ばかりやっていたからか、なかなか結果にも表れず…という感じでした。でも、大学に入って環境が変わり、いろんなことを自分から積極的に経験していくうちに少しずつ自信を取り戻すことができてきました。そして、段々と周りも見ることもできるようになり、自分自身を客観視できるようにもなってきたなと思います。それから、スポーツマーケティング事業をしている東京の会社へ自ら連絡をしてインターンシップに行った経験も大きかったですね。そこでは営業を体験させていただいたのですが、その体験から人と繋がる大切さを学ぶことができたと感じています。

一人暮らしをしてよかったと感じることはありますか?

 先程お伝えしましたように、18歳になったら一人暮らしをしようと思っていました。自分は一人っ子ということもあり、すごく親に甘えていたと思います。そのため、家事のスキルがまったくありませんでした。しかし、失敗したり上手くいかなかったときにも周りの友達と助け合ったり、大家さんがいろいろと教えてくれたりしてくれたお陰もあり、大抵のことは自分でできるようになりましたね。料理は今も自信はないですが、光熱費の支払い方とか、ご飯の炊き方とか、「えっ、そんなことも知らないの?」というレベルですけど、そんな小さなことを知ることができたのも自分にとっては大きな成長でした(笑)本当に何も知らなかったので・・・。

 それと、お金の大切さをより実感することができました。仕送りももらっていましたが、電気代とか自分の目で見て支払うものがあると、お金の大切さをより感じることができました。エアコンをつけっぱなしにしていた夏の時期の請求書にはびっくりしましたね。社会人になると、決まった給料の中でやりくりしないといけないので、早いうちからそういう金銭感覚を身に付けることができたのは良かったと思います。社会人になって特に思いますが、勉強以外の面でも、大人になるための準備期間として、若いうちにたくさん失敗できるのは学生の特権だったなと思います。それとアメフト部の仲間と共有できる時間がたくさんできたことも良かったです。部活以外の時間も仲間とたくさんの時間を共有できたことによって、人生でかけがえのない繫がりを築くことができました。それも都会ではない知多半島にある日本福祉大学だからこそ、より絆が深まったと思います。
 最後に親の大切さを改めて知ることができたことです。私の親は何に対してもまずは自分がやりたいようにさせてくれたのですが、それは自分でやってみて気づくことが大切だという想いがあったみたいです。そのため、自分で考えて行動できるようになったのは親のお陰だなとありがたく感じていますし、地元を離れて愛知で一人暮らしをさせてくれたことに何よりも感謝しています。

充実した学生時代を送っていたと感じますが、なぜ大学(通信教育)に入り直そうかと思ったのですか?

 入庁して3年間ケースワーカーをさせていただくなかで、福祉の大学出身なので周りからの期待もあったかと思います。しかし、実際に仕事をするなかで他の大学出身の人と知識も経験も何ら変わらないなと感じまして、改めて日本福祉大学に入った意味を考え直した結果、もう一回福祉についてしっかり勉強し、現在の仕事に活かすことのできる社会福祉士の資格を取得することを決意しました。

学生時代の“学び”と社会人になってからの“学び”の意識は違いますか?

 学生時代は単位のため、卒業のために授業に出て勉強するという気持ちが強かったですね。でも実際は授業の1コマにもしっかりお金がかかっているので、今思えば本当にもったいなかったなと思います。しかも大学には専門領域のスペシャリストの先生がいるので直接いろんなことが聞けるっていう環境が今になってはすごく羨ましいです。ただ、当時の自分に「ちゃんと授業受けろよ」って言ったとしてもなかなか難しいところがあると思いますけどね。そのためにもやっぱり目標を持って勉強にも取り組むことで学びの意識も変わったんじゃないかなと思います。

仕事やプライベートに常に全力で取り組んでいる印象ですが、現在の目標や夢はありますか?

 短期目標でいえば、日本福祉大学の通信教育でしっかり学んで2022年の国家試験に合格することですね。長期目標でいえば、池田市の人材育成基本方針に「専門性を高め、民間企業や他団体でも活躍できる人材」とあるように、専門的に福祉の理解を深めて、将来的には社会保障領域でもある「福祉」、「子育て」、「教育」の分野で活躍できる職員を目指したいと思っています。それと、母校のアメフト部の支援も継続して行っていきたいと思っています。学生時代の経験が社会人になった自分にも活きているので、できる限り母校に還元していきたいという気持ちはあります。

全国の同窓生へメッセージをお願いします。

 コロナの影響もあり、医療福祉業界の方々を含め、様々な現場で同窓生のみなさまも日々奮闘されているかと思います。私自身、日本福祉大学の通信教育に入学し、改めて大阪の同窓生の多さに驚きました。今後とも同窓生の方々とのつながりを大切にし、日本福祉大学のネットワークを広げていきたいと思います。

池田市マスコットキャラクター「ふくまるくん」

在学生(後輩)へメッセージをお願いします。

 「意思あるところに道は開ける」というリンカーンの言葉にもあるように、すべては自分次第だと思います。大学の4年間は人生のオアシスと言われることもありますが、私も「授業面倒くさいな~」とか「今日は寝ちゃおうかな~」なんて思うこともありました。しかし、社会は常に変化しているので情報に敏感になりながら、ときには他大学の学生とも交流したり、視野を広げつつ、人との繫がりを大切にして過ごしていって欲しいなと思います。4年間は長いようであっという間なので、やりたいことをなるべく明確にして、社会人になるための準備期間として充実した学生生活を過ごして欲しいと思います。その中でも友達や仲間を大切にし、全力で楽しんでもらえたらと思います。かけがえのない4年間を最高のものにしましょう!

これから進学を目指す全国の高校生へメッセージをお願いします。

 今の時代は大学選びもそうですが、働き方も含めて選択肢がたくさんあると思います。だからこそ、自分の意思をしっかりもって後悔しない選択をして欲しいと思います。

池田市役所 総務部課税課 主任主事

新実 秀太さん

SHUTA NIINOMI

  • 日本福祉大学福祉経営学部医療・福祉マネジメント学科(通学課程)2013年卒業
  • 日本福祉大学福祉経営学部医療・福祉マネジメント学科(通信課程)2020年入学
  • 大阪府/桜宮高等学校出身

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<取材:大阪サテライト>