「ナイスシュート」 そう言われても、自分がどのようなシュートを打ったか分からず戸惑った。今までサッカーをしてきた中で、初めての経験だ。 ブラインドサッカーを体験するために、晴眼者である私は、アイマスクを着用した。目をつぶる時とは異なり、黒色を通り越した暗さで、立っているだけでも不安になる。チームメイトの声と感覚を頼りにシュートを打ったが、アイマスクをしていたために、ボールを目で見ることができなかったのだ。冷静に考えれば当然のことだが、実際に体験して得た発見だった。 アイマスクを着けると、視覚による情報が一切なくなる。普段頼ってきたものが突然なくなったことで、他の方法で情報を得ようと感覚が研ぎ澄まされるような気がした。中でも、声かけによる耳からの情報や手を握ってくれる人の温かい感触は、いつもよりずっと有りがたく感じられた。一言の声かけやちょっとした気遣いが、他者を安心させると分かった。 ブラインドサッカーでは、選手に情報を伝える晴眼者の存在も重要である。フィールドでプレーできない晴眼者は、声かけをするガイドや監督、またはキーパーの役割がある。フィールドプレーヤーである視覚障がい者と、晴眼者の両者がいてこそ、一つのチームになると気がついた。どちらもチームにとって欠かせない存在で、それぞれにできることがあり、そしてできないことがある。お互いに、自分のできることで他者のできないことを補いあって、一つのチームができるのだ。 同様に、社会全体も一つの大きなチームであるといえる。善意によって「助ける」、まして「助けてあげる」のではない。自分にできることで他者を補うことが、社会というチームの一員としての役割なのだ。自分に与えられている役割を自ら見出して果たし、社会に貢献できる人でありたい。
この作品も、多くの審査員が強く推した作品です。ややもすると理屈っぽくなるテーマを、作者が体験した「エピソード」と「共生社会」が無理なくつながっているため、完成度が高く、広がりのある作品に仕上がっています。 アイマスクを着用した時の描写にリアリティがあって、説得力がある点も、この作品の良さです。実際に自分が体験し、発見した気持ち、その後の自分の変化をきちんと書いてあるため、読者も作者と同じ気持ちになって読むことができます。