障害を持つ方を取り上げたテレビ番組を見て「可哀そう」と言う人がいる。視聴者がそう思うのは、偏見などの心理的バリアがあるからではないだろうか。身体に障害があるというだけで周囲から心配され、不幸だと言われることに疑問を感じる。 私の妹はダウン症を持って生まれ、現在高校二年生。特別支援学校に通っている。編み物や革細工など物作りの授業が大好きで、卒業後の就労に向けて、小さい身体ながら職業実習を頑張っている。 私は、妹を「可哀そう」と思ったことは一度もない。むしろ「頑張れ」と思っている。 妹が小さい頃、育児が大変だったと母から聴いたことがある。心臓の合併症を持ち合わせていたし、発達が通常より遅かった為、両親は心を痛めることが多かったに違いない。しかし現在は、身の回りのことを自分で行えるようになり、私と将来の話をすることもある。 そんな妹と一緒に生活する中で、腹が立つ事や悲しい事もあった。妹が小学生の時、弟の友達から砂をかけられたことがある。妹は多くを語らないが、どれほど悔しかったことだろう。「可哀そう」と言われたくないから、涙を我慢したのかもしれない。同じ人間なのに、容貌の違いから砂をかけ、遊び場から排除しようとする友達の態度を、とても冷たく感じたことを覚えている。 幸せの形は人それぞれだ。特別支援学校の教育を通して妹の笑顔が増え、心身共に発達し続ける姿は、私の進路に大きな影響を与えた。現在、私は高校福祉科で介護福祉を学んでいるが、作業療法士を目指して進学したいと考えている。将来は特別支援学校の職員として生徒達の物作りに関わり、就労を支援できるようになりたい。 私がこのような夢を抱くようになったのは妹の存在があったから。私の方こそ、妹から「頑張れ」と励まされているのだ。
ダウン症の妹との生活や日頃考えていることをとても素直に書いている、爽やかな読後感を得られる作品です。作者が妹のことを「頑張れ」と思っているのと同時に、作者自身も「頑張れ」と励まされている相互の関係が伝わってきます。 「不幸だと言われることに疑問を感じる」ことからスタートし、疑問や怒りだけで終わらず、将来の進路を決めたという前向きな結論につなげている構成が良いと思います。作者の夢が実現することを、私たちも応援しています。