その日は突然やって来た。私が小学四年生の一月、日曜日の午後、居間でテレビを観ていると、祖母から大きな声で呼ばれた。振り返ると、後ろのソファーに座っていた祖父が倒れていた。私はどうしていいか分からず、仕事に行っている母に震えながら電話をした。 「動かさないで。今救急車呼ぶから。母さんもすぐ帰る」 あれから六年、祖父は、入退院を繰り返しながら今、あの日倒れた居間で介護ベッドに寝ている。脳梗塞で右半身不自由の為、移動は車椅子だ。あれだけ畑仕事が好きで、ボランティアで通学路の草刈りをしたりと、じっとしていられない性格だった祖父が、今現在動けないでいるのは、どれだけ辛いことだろう。 そして、祖母もまた四年前、腎臓病が悪化し、週三回の透析が始まった。足も弱っていたため、車椅子での生活となり、祖父母並んで介護ベッドで寝るようになった。 私は、祖父母の病状も精神面も心配だ。しかし、それ以上にもっと心配な事がある。仕事と介護をこの六年間、休むことなくずっと続けている、私の母の事だ。 「母さんは思うんよ。あんたたち子供がいて良かったわ。おらんかったら、じいちゃんとばあちゃん殺してしまったかもしれん」 仕事の疲れ、介護の疲れなど一言も私達子供三人に言わない母だけれど、一度だけ口にした言葉は私の胸を締めつけた。母は嬉しい時にしか泣かない人だ。弱音を吐かない人だからこそ、女手一つで私達三人を育てて来れたのだと思う。その母が漏らした、その一言は重い。きっと経済的にも精神的にも体力的にも、本当は私が想像出来ないくらい、辛いのだと思う。 私は母に何が出来るのだろう。私の笑顔で母が少しでも幸せに思えるのなら、今はそれしか出来ない。母は毎朝必ず、登校する私に、「今日もスマイルヨ」と笑顔で言うから。
淡々とした文章で書かれていますが、リアリティのある描写のため、読んでいて「こんな状況なんだろうな」と想像がふくらんでいきます。エッセイには書かれていませんが、おじいちゃんとおばあちゃんが子育てを手伝っていて、作者が小さい時からおじいちゃん、おばあちゃんといい関係でいたんだろうなと想像できます。また、お母さんが「今日もスマイルヨ」と作者を明るく送り出す風景が眼前に広がり、家族の心のつながりや温かさが伝わってきます。そうした家族の関係が伝わってくる点が評価されて、優秀賞に選ばれました。