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「ふくし」を思う

研究・教育活動、地域連携・社会貢献の取り組みを紹介します。

講演録

原田正樹教授 講演録「震災時、福祉専門職は何をしたか」

「震災時、福祉専門職は何をしたか」

  • 講師:
    原田 正樹 氏(日本福祉大学学長補佐、社会福祉学部教授)
  • 日時:
    2012年7月1日(日)13:00~14:20

※所属や肩書は講演当時のものです。

3.11から受け止めるべきもの

 2011年3月11日、東日本大震災が起こった日、私は日本福祉大学の美浜キャンパスにいました。第一報を受けて頭に浮かんだのは、宮城県の実家に帰省すると聞いていた学生のことです。しかし、既に電話もメールもつながらなくなっていました。彼からメールの返信があったのは5日後で、ご両親とともに避難所にいるということでした。ほっとしたのもつかの間、その文章の後に「死体が周りにたくさん浮いています」とありました。

 私はいてもたってもいられず、卒業式が終わった21日に、バスを乗り継いで彼のもとに駆けつけました。被災地では、ビルの屋上に車が打ち上げられていました。私たちはそうした光景に目を奪われがちですが、忘れてならないのは、人々の生活がそこにあったのだということです。それが一瞬で押し流された。それを「自然の脅威」などというのは綺麗事です。そこにあった一人一人の生活を、どれだけ想像することができるか。犠牲者2万人といいますが、失われたのは2万人の集団ではなく、一人一人の命なのだという重みをしっかりと受け止めながら、3.11を考えていきたいと思います。

被災地の様子
(宮城県名取市、2011年5月)

「津波てんでんこ」と防災マニュアル

 三陸地方には「津波てんでんこ」といって、津波が来たら周りに構わず、各自がてんでんばらばらに高台に逃げろという古くからの教えがあります。それを伝承してきた山下文男さんは、昭和三陸沖地震のときに、自分の親も含め、大人たちが子どもに構わず一目散に逃げ出したのを見ました。山下少年は、大人の後を追って必死に走ったといいます。薄情に思えるかもしれませんが、「津波てんでんこ」とは、明治三陸地震で受けた壊滅的な被害を教訓に語り継がれてきた、一族や地域を全滅から守る知恵なのです。だから、自分だけが助かっても非難されることはありません。生き残った者が命をつなげる責任を果たすのです。この教えを守り、今回、一人の犠牲者も出さなかった小中学校もありました。
 一方、日本の防災計画・教育の多くは、1995年の阪神・淡路大震災を教訓に作られました。そのため、大規模な建物の倒壊を前提に集団避難の重要性が説かれ、学校の避難訓練でも校庭に一度集まってクラスごとに安否確認をし、集団で安全な場所に移る方法が主流となったのです。しかし今回、こうしたマニュアルどおりに動いていた学校では避難が遅れ、多くの犠牲者を出したところもあります。防災計画や防災教育の見直しは、避難の方法にとどまらず自然との向き合い方や人と人とのつながりなど、教育の中身そのものにおよぶことだと思います。

 防災計画についても、地域ごとに起こり得る災害が異なる中で、日本全国横並びで、同じマニュアルで対応できるはずがありません。それぞれの地域で蓄積されてきた生きる知恵を生かし、その土地に合った防災計画や備えをしていかなければならないのです。同時に、人々の生活を守るためには、地震発生直後の避難だけでなく、避難所運営も含めた計画を作っておく必要があります。

福祉の根源に触れた「萩の花プロジェクト」

 日本福祉大学は地震後すぐ、3月中に災害ボランティアセンターを立ち上げ、学生や教職員が宮城県、岩手県、福島県で活動し、大学のある愛知県でも、福島の子どもたちを呼んでキャンプをするなど、今もいろいろな活動を続けています。その一つ、宮城県で取り組んでいる活動は、宮城県出身の学生のアイデアで、県の花の名前から「萩の花プロジェクト」と名付けられました。このプロジェクトでは、2011年の5月に名取市閖上(ゆりあげ)にある特別養護老人ホーム「うらやす」でも活動をさせていただきました。

 「うらやす」は、水位180cmの津波に襲われ、利用者43名、職員4名、計47名が犠牲になりました。学生たちは5月の連休に施設跡を訪れ、がれき撤去や利用者の皆さまの思い出の品を探す「大切なものさがし」を行いました。一番うれしかったのは、がれきであふれていた施設の白い床が見えてきたとき、職員の方たちが涙声で「諦めていたけれど、もう一度何とかしたい」とおっしゃったことです。学生たちは、うちひしがれてもなお施設を再建しようとする彼らの強さに触れ、福祉に携わる者の責任感と、福祉専門職が持つべき志を、普段の実習以上に感じ取ったに違いありません。それは、福祉の根源である「生きる」ということをどうとらえていくのかということなのです。

「うらやす」での作業

日本福祉大学 災害ボランティアセンター

 学生・教職員による被災地に対する支援の実行組織として2011年3月に発足。他のボランティアグループや団体とも連携したネットワーク型の組織として取り組むほか、持続可能なボランティアを担保するため、活動資金の募金も行う。

※この講演録は、学校法人日本福祉大学学園広報室が講演内容をもとに、要約、加筆・訂正のうえ、掲載しています。 このサイトに掲載のイラスト・写真・文章の無断転載を禁じます。

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