●下垣
それどころか, 私は歌にはコンプレックスをもっていたの. というのも, 中学の音楽の先生が, 戦後のどさくさにまぎれて音楽の先生になったような人でひどかったの.
だって竹刀をもって音楽をするのよ, バーンと机を叩いて 「正座」 とか言って. その上, その先生がよくピアノ間違えるし,
私のほうが上手いから私が弾くのよ. ある日クラス委員の男の子で歌がうまかった子と私が
2 人で皆の前で歌わされたことがあって, その男の子はフォークソング系のいい声で歌ったから, 私は対抗していつも聞いているオペラの調子で,
「アーアーアーッ」 っと歌ってしまったの, そうしたら先生が彼の歌い方はすばらしい, 下垣の歌い方は間違っているとみんなの前で恥をかかせたのよ.
だから歌に対しては非常にコンプレックスがあったんだけれど, まあ声の大きさには自信があったし, 母が, 「あなたは間違っているのではない,
他の人と違うだけなのよ」 と恥じる必要はないと諭してくれた.
●佐々木
それで大学は声楽科に進まれたわけですよね.
●下垣
大学でも声楽一筋って感じではなかったんだけれど, 大学 4 年の時にヨーロッパへ 1
ケ月間くらい演奏旅行に行って, そのときアレッと思うことがたくさんあったの. 自分が学んできたり耳にしてきた音楽が, その背景とか環境とかと一体のものだっていう感じが初めてわかるというか,
例えばパリの有名な大聖堂で歌うと, その響きが凄くてステンドグラスの光と一体になって夢のような体験になる, というように.
それから人々の生活の様子なども, とても興味深かったから, その演奏旅行から帰ってきて, 思いたってドイツに行くことに決めたわけ.
●佐々木
凄い決断力! 私もエイって迷わず決めちゃう方だから, なんとなくわかるけど. でも, あちこち回ったなかでドイツに決めたのは何か理由があるんですか?
●下垣
人々がじっくり生活している雰囲気, 大地にしっかり立って生きている感じがいいなあと思ったのかな.
●佐々木
それからしばらくドイツで暮らすことに?
●下垣
奨学金の試験に受かって 1 年準備, そしてようやくドイツへ, 半年くらいして, 声が出なくなっちゃったの.
ドイツでは結構がんばってまじめにレッスンして, また先生が次々と新しい曲をくださるから相当大変で, ついにダウンしてしまった.
実はそれまでにも一度大学受験の時に喉の調子が悪くなった経験はあったのだけれど, そのときはまだ歌をはじめて 2 年くらいだったのでそうでもなかったけれど,
ドイツで声が出なくなった時は, 本当に声がなくなることの怖さを感じました. それで仕方なく帰国して, 母にはこのまま日本にいなさいといわれたのだけれど,
でもやはり自分は歌がやりたい, ドイツに行きたい, 奨学金も切れているけれど, 自分でできるっていうことを見せてやる,
というような意気込みで, 再びドイツに行きました.
●佐々木
根性ありますね. それで今度はドイツで
DJ や通訳もやりながら, ということになったわけですね.
●下垣
働かなくちゃいけなかったからいろいろな仕事をやったけれど, かえってそれでドイツをいろんな面からみることが出来たと思う.
ドイツ人の考え方や人生とか, 同時に日本とか日本の文化のことも考えたり見えたりできたんたと思うの.
●佐々木
下垣さんの講演を聞かせていただくと, そうしたドイツ人の暮らし方, 考え方がいつもとてもリアルに伝わってきて興味をそそられます.
ドイツではどちらに?
●下垣
ずっとケルンに. ケルンは名古屋に似ていて, 暮らしやすかったの.
●佐々木
でもそのままドイツで暮らしつづけずに, 帰国されたきっかけは?
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