一年前の神無月、私たちは高鳴る鼓動を抑えられないまま千歳空港を旅立った。向かう先は南の島沖縄。北海道とは、真逆の気温に圧倒され、どこまでも続く大海原には「美しい」この一言に限られた。しかし二日目を迎えた私は、沖縄の過去に直面し、前日までの高鳴りが恐怖へと変わり、言葉にはできない何かを感じた。 ガマの中は、酸素が薄く真っ暗で、片手に握りしめた懐中電灯の明かりだけが頼りだった。語り部の方が、当時この島で起こった、耳を塞ぎたくなるような真実を涙を流しながら静かに語って下さった。― 当時を生きた人は、「日本兵が一番恐ろしかった」「ガマの中に入ったら再び空を仰ぐことはできないと覚悟していた」と言ったそうだ。短い文の中に戦争の悲惨さが語られている。 修学旅行という夢の時間から三ヶ月たったある日、日本史の授業で私は衝撃を受けた。一枚の写真の下にたった三行でまとめられた沖縄戦。驚きを通り越して情けなかった。他国の歴史は、教科書一ページ分使ってまとめてあるのに、どうして自国の歴史はたった三行だけなのか。さらに、道民でありながら私は知らなかった。北海道から沖縄に召集された方が一万三千人を超えることを。 今日も小さな島の静かなる平野に北霊碑は、再び過ちを繰り返さないようにその姿で戒めている。北の地から遠い南の島へ派兵された方の気持ちを理解することはできない。しかし、その真実を知り伝え続けることは、私たちの義務ではなく使命だと思う。 そしてまた、激動の時代を勇敢に生きた人たちの歴史を知り、平和の尊さを実感し次世代へと伝えていくことこそ、亡くなった人たちへの鎮魂となるのではないか。未来の教科書が、そのきっかけを与えてくれるようになることを心から願う。
修学旅行で沖縄を訪問した時の実体験や、語り部の方の話を聞いて感じた素直な気持ち。その後、強い印象を受けた沖縄戦が教科書にわずか三行しか書かれていないことを発見した驚きと憤り。そんな自分が体験したこと、感じたこと、発見したことが、よく表現されています。第四分野のテーマである「どうして?」という問題提起が、読む私たちの心にストレートに入ってきて、共感を感じるいいエッセイです。そして、本文の内容や、作者の主張がよく伝わってくる「タイトル」も的確で、インパクトがあっていいと思います。